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短詩
「短詩〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
短詩の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「文芸の哲学的基礎」より 著者:夏目漱石
すとけっして美ではない。美と云うものを唯一《ゆいいつ》の生命にしてかいたものは、
短詩のほかにはないだろうと思います。小説には無論ありますまい。脚本は固《もと》よ....
「柿の種」より 著者:寺田寅彦
しかしそれは代数ではない。 物事は約束から始まる。 俳句の約束を無視した
短詩形はいくらでも可能である。 のみならず、それは立派な詩でもありうる。 し....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
ain 神は雨にて降り玉う、と云う句を不図憶い出した。其れは「田舎の信心」と云う
短詩の一句である。全詩は忘れたが、右の句と、「此処田舎の村にては、神を信頼の一念....
「俳諧の本質的概論」より 著者:寺田寅彦
日本人のむだな訓練によってゆがめられた心にのみ感興を呼び起こすであろう。 この
短詩形の中にはいかなるものが盛られるか。それはもちろん風雅の心をもって臨んだ七情....
「日本人の自然観」より 著者:寺田寅彦
あろう。 こういう点で何よりも最も代表的なものは短歌と俳句であろう。この二つの
短詩形の中に盛られたものは、多くの場合において、日本の自然と日本人との包含によっ....
「俳句の精神」より 著者:寺田寅彦
任して真に詩らしい詩を求めたいという、そういう精神に適合するものがまさにこうした
短詩形であろう。この意味でまた日本各地の民謡などもこのいわゆるオルフィズムの圏内....
「詩の原理」より 著者:萩原朔太郎
》りこの間にあって、昔から一貫した生命を有するのは、三十一音字の短歌である。この
短詩の形式は、五七律を二度繰返して、最後に七音の結曲《コダ》で終る。それは語数律....
「クリスマス・カロル」より 著者:ディケンズチャールズ
からであった。あの有名な詩中(註、ウォーヅウォースの「弥生に書かれたる」と題する
短詩。)の羊の群とは違って、四十人の子供が一人のように振舞うのではなく、各一人の....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
は、「悲しかりけり」というのである。これを以て、日本語の貧弱を云々してはならぬ。
短詩形としての短歌の妙味もむずかしい点も此処に存するものだからである。大体以上の....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
朝の祈祷《きとう》のように諳誦《あんしょう》していた自身へという悲壮な落ち着いた
短詩《ソンネット》、などを取って来たのであった。
敬虔《けいけん》なパウル・ゲ....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
ベリー夫人の第一秘書役たるサスネー侯爵、シャール・ザントアンヌという匿名で単韻の
短詩を出版したヴァロリー子爵、金の綯総《よりふさ》のついた緋《ひ》ビロードの服を....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
のであり、寝所のうちで語らるべきものの序曲だった。叙情的な訴え、歌曲の一節と叙情
短詩の交じったもの、鳩《はと》のやさしい飾り言葉、花束に編まれて美妙な天国のかお....
「歌の円寂する時」より 著者:折口信夫
たぎっている新しい人間の生命なのである。叙事の匂いのつき纏った長詩形から見れば、
短詩形の作物は、生命に迫る事には、一層の得手を持っている訣である。
短詩形....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
じく半紙に書いて余に送って来た。これは馬鹿気た一笑話であるが、実をいえば十七字の
短詩形である俳句だけでは満足が出来なかったのである。世人が子規門下の高弟として余....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
を一括してこれを江戸時代|専《もっぱら》庶民の階級にありて発達したる近世俗語体の
短詩として看《み》つつあるなり。今《いま》小唄川柳都々一の三形式については暫《し....