石塚[語句情報] »
石塚
「石塚〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
石塚の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
あり、手水鉢《ちょうずばち》の屋根は打《ぶ》っ壊れて、向うの方に飛んで居ります。
石塚は苔の花が咲いて横倒《よこッたお》しになって居りまする程の処、其の少し手前に....
「業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
と思って業平村に塚《つか》を建てゝ祭りました、それゆえに前には船の形を致しました
石塚でありましたそうで、其の頃は毎月《まいげつ》廿五日は御縁日で大分《だいぶ》賑....
「古代国語の音韻に就いて」より 著者:橋本進吉
仮名についてしたものがあったことがわかったのであります。それは本居宣長翁の弟子の
石塚龍麿《いしづかたつまろ》という遠江《とおとうみ》の学者であります。この人が仮....
「前哨」より 著者:黒島伝治
たら、見ちゃ居られんだろうな。」誰れかゞ思わず呟いた。「豚でも気持が悪い。」 「
石塚や、山口なんぞ、こんな風にして、×××ちまったんだ。」大西という上等兵が云っ....
「正義と微笑」より 著者:太宰治
してから、僕は兄さんをお庭にひっぱり出して、写真をとってあげていたら、垣根の外で
石塚のおじいさんの孫が二人、こそこそ話合っているのが聞えた。 「おらも、三つの時....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
、伊沢蘭軒の長子|榛軒がいる。それから芸術家|及芸術批評家に谷文晁、長島五郎作、
石塚重兵衛がいる。これらの人は皆社会の諸方面にいて、抽斎の世に出づるを待ち受けて....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
綱ゆりかけ」てふ歌あり、支那人も本邦の禅林でも紙馬を焼き、インドのビル人は山頂の
石塚に馬の小土偶を献ずれば、死者の霊その像の後の小孔より入りて楽土に騎《か》け往....
「夜の靴」より 著者:横光利一
知っている老人だ。 九月――日 焼け出されて新潟の水原在の実家に疎開していた
石塚友二君から葉書が来る。発信地は福島の郡山からだが、川端康成から鎌倉文庫へ入社....
「霧陰伊香保湯煙」より 著者:三遊亭円朝
に這入りますと、突当りに香取神社の鳥居がありまして、傍に青面金剛と彫付けた巨きな
石塚が建って居ります。鳥居から右へ曲ると高梨の家で、左右森のように成って居り、二....
「白木蓮」より 著者:豊島与志雄
るなんて、それもやっぱし浮気じゃないの。そんな浮気なら、わたしが封じちゃうわよ。
石塚さんと同じことよ。」
石塚のことなら、私もだいたい知っている――。大商店の....
「淪落の青春」より 著者:坂口安吾
石塚貞吉が兵隊から帰ってきたころは、日本はまったく変っていた。彼の兵隊生活は捕虜....
「妾の半生涯」より 著者:福田英子
由《よし》なかりき。 第三 渡韓の計画 一 妾の任務 ある日同志なる
石塚重平《いしづかじゅうへい》氏|来《きた》り、渡韓の準備|整《ととの》いたれば....
「詩語としての日本語」より 著者:折口信夫
礎とした文体によって、彼の宗教をえがこうとした。私の未生以前明治十八年、「十二の
石塚」を公表した人である。あれだけの内容を持ちながら、形式の、それに裏切る詩を作....
「茶の本」より 著者:岡倉由三郎
兄はその後もこの道の修業を積むおりがおりおりはあったであろうが、嫂の師事した
石塚宗匠からの間接の教えも、大いに悟入に資したことと思う。また茶に関する書物の渉....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
たが、菜の花が盛りでございます、彼の市川新田の出外れの処に弘法寺と深彫のある一の
石塚が建っており、あれから右へ曲ると真間の道で、左右が入江になっており、江には片....