石山寺[語句情報] » 石山寺

「石山寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

石山寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
の宿に預けて、石山の石に靴や下駄の音をさせつゝ、余等は石を拾い、紅葉を拾いつゝ、石山寺に詣った。うど闇い内陣の宝物も見た。源氏之間は嘘でも本当にして置きたい様な....
敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
南円堂、十番が山城宇治の三室、十一番が上の醍醐寺、十二番が近江の岩間寺、十三番が石山寺、十四番が大津の三井寺と段々|打巡りまして、三十三番美濃の谷汲まで打納めま....
艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
覚えさせるものがあろうとも、さしあたって私はどうするわけにもゆかない。 近江の石山寺に持ち伝えられた古文書を見た人の話によると、そのむかし、京都のある公卿が、....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
浮び上って来ている。 三井、阪本、大津、膳所《ぜぜ》、瀬田の唐橋《からはし》と石山寺が、盆景の細工のように鮮かに点綴《てんてい》されている。 針のように、そ....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
には大阪で青木月斗氏等の俳句会に臨む約もあるし、また奈良見物や、京都近傍の三井寺石山寺等の参詣も期していたのだが、兵庫へ着くと、姪の婿なる市橋俊之助が停車場に来....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
してこれを掲げると、先ず絵巻の種類では『山寺法師絵巻』、『本願寺曼陀羅縁起』、『石山寺縁起』、『誓願寺縁起』、『因幡堂縁起』、『みしまに絵詞』、『源夢絵詞』、『....
源氏物語」より 著者:紫式部
は国を立って来た。一行が逢坂《おうさか》の関を越えようとする日は、偶然にも源氏が石山寺へ願ほどきに参詣《さんけい》する日であった。京から以前|紀伊守《きいのかみ....
源氏物語」より 著者:紫式部
は他人の妻になっているのであると、こんなことを想像する瞬間でさえ胸がとどろいた。石山寺の観世音菩薩も、女房の弁も並べて拝みたいほどに大将は感激していたが、玉鬘か....
源氏物語」より 著者:紫式部
あろうと右近は思い、初瀬の観音様、今日一日が無事で過ぎますようにと大願を立てた。石山寺へ参詣させようとして母の夫人から迎えがよこされることになっている日なのであ....
源氏物語」より 著者:紫式部
を感じる心から深く隠すことに努めた。 この時に薫は母宮が御病気におなりになって石山寺へ参籠をあそばされるのに従って行っていて騒がしく暮らしていたのであった。京....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
である。それは三十二年十月興行の中幕で、待賢門の大庭で義平が重盛を追うくだりと、石山寺で義平が生捕られるくだりとの二場、主なる役割は左団次の悪源太義平、市川権十....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
霊仙三蔵が訳したとは書いてない、その訳した時に自分で写して日本の皇室に奉ったのが石山寺に残っている、それで分ったのです。霊仙訳と書いてあるのであります。この人だ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
秋かぜに吹かれていた。 湖畔の柳ヶ崎から、堅田舟の一ツに乗り、瀬田川をのぼって石山寺へ――という一ト先ずの御思案らしい。 さすが、一山のうちには、 「宮々|....
私本太平記」より 著者:吉川英治
芥のよう焼亡されてゆくさまを嘆いている。 いやそのような暴状はここだけでなく、石山寺の宝蔵もこのときに破壊され、淀、八幡、山崎へかけても同様だった。とまれ都門....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、呼号して、とつぜん、近江へ向って出陣した。兵はそう多くもなかった。しかし、兵を石山寺にとどめて、伊吹の道誉と、即日、何やらしきりと使者を交わしており、どうも事....