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「石川光明〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

石川光明の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
回想録」より 著者:高村光太郎
彫刻家として認められる機会がちょいちょい出て来た。父の仕事振りを偶々通りすがりの石川光明さんがよく見ていて、その世話で展覧会に出品するようになった。矮鶏などは、....
美術学校時代」より 著者:高村光太郎
十畝さんのお父さん)それから小堀鞆音等がいた。彫刻の方では僕の親父高村光雲、外に石川光明、竹内久一両先生、この三人くらいであった。木彫の方には助教授の林美雲先生....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
った私が、どうして日本美術協会のあることを知り、また出品したかというと、それは、石川光明という牙彫りの名人で、当時既に牙彫りでは日本で一、二を争う人となっていた....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
さて、話は自然私がどうして石川光明氏と交を結ぶことになったかということに落ちて来ます。それを話します。 ....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
である。こうまず二派に別れるのでありますが、その高尚の方の先生株には、旭玉山氏、石川光明氏、島村俊明氏などを筆頭として、その他沢山ありますが、この人たちがまず代....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
の成功をもって終りました。 本会の成立について、特に尽力をされた人々は旭玉山、石川光明、島村俊明、金田兼次郎、塩田真、前田健次郎、大森惟中、平山英造の諸氏で、....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
っておりました。しかし何んのことかさらに分らんのでありました。翌日学校へ出ると、石川光明氏もお差紙が参ったということで、 「高村さん、あれは何んでしょう。どうい....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
、楠公という本尊があることで、前申す通り大勢が関係をしている。彫刻になってからは石川光明氏も手伝われる。新海竹太郎氏は当時後藤氏の宅に寓していたので、後藤さんが....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
行くと右側に茅葺屋根の門がある。はてな。この家は去年の春、盆栽の陳列会があって、石川光明氏と一緒に見物に来た時会場になった家で、茅葺屋根の田舎造りで何んだか気に....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
ます。 只今こうしてお話をしているこの九畳の座敷も、その時そのままで、初めて、石川光明氏と打ちつれ盆栽会を見物に来た時も、この部屋や縁側に盆栽が沢山並んでいま....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
父は島田という人で、茶人でした。大変|生計に困っているらしいので、気の毒に思い、石川光明さんその他三、四の友達を誘い、お茶の稽古を初めることを思いつき、石川さん....