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石州
「石州〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
石州の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「黄村先生言行録」より 著者:太宰治
ではなっているようでございます。周防《すおう》長門《ながと》にもいるそうですし、
石州あたりにもいるそうです。それから、もう一つは、琵琶湖の近所から伊勢、伊賀、大....
「二人の友」より 著者:森鴎外
たはどちらのお方かと云うのであった。君はこう答えた。 「それは気の毒な事だ。僕は
石州のもので、尾の道へは始めて来た。ここへ来たのが知れるといけないから、早く帰る....
「カズイスチカ」より 著者:森鴎外
通り抜けて、北向きの小部屋に這入《はい》って、煎茶《せんちゃ》を飲む。中年の頃、
石州流の茶をしていたのが、晩年に国を去って東京に出た頃から碾茶《ひきちゃ》を止《....
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
遂げた。利休およびその流れをくんだ有名な織田有楽、古田織部、光悦、小堀遠州、片桐
石州らは新たな配合を作ろうとして互いに相競った。しかし茶人たちの花の尊崇は、ただ....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
これ等が元就が陶に不快を感じた原因である。 そして機を見るに敏なる元就は、陶が
石州の吉見正頼を攻めに行った機に乗じて、安芸の桜尾、銀山等の城を落してしまった。....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
た。一昨日は井伊、榊原の軍勢が芸州口から広島へ退いたとか、昨日は長州方の奇兵隊が
石州口の浜田にあらわれたとか、そういうことを伝え聞く空気の中にあって、ただただ半....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
まで男女いずれと別らず、大いに諸邦を手古摺《てこず》らせた。 支那の明の成化間
石州の民|桑※《そうちゅう》、幼より邪術を学び纏足《てんそく》女装し、女工を習い....
「八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
を凝らした茶室の中で、彼女の手前で茶をよばれたのは、分けても彼には好もしかった。
石州流の作法によって造り上げられた庭園を、お露の案内で彷徨った時、夕月が梢に差し....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
ことが出来たように思って、昂然と胸を反らした。 泉州小泉の城主片桐貞昌は、茶道
石州流の開祖として、船越吉勝、多賀左近と合せて、その頃の三宗匠と称えられた名誉の....
「灯明之巻」より 著者:泉鏡花
いた。 ――家は、もと川越の藩士である。御存じ……と申出るほどの事もあるまい。
石州浜田六万四千石……船つきの湊を抱えて、内福の聞こえのあった松平|某氏が、仔細....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
ら、芸州《げいしゅう》口の井伊榊原も夜襲を横合から掛けられて、散々に敗走するし、
石州口は、津和野藩は早く長州に内通していたから、長州兵はそこを通り越して浜田領へ....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
本草綱目啓蒙』巻之廿五、栗の条下に「マタ越後ニ三度グリアリ大和本草ニヤマグリト云
石州ニテ カシハラグリト云|茅栗《ボウリツ》ノ類ニシテ年中ニ三度実ノルト云越後ノ....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
あゝあゝ、持ってお出なさい。」 盆栽に見入って、振返りもなさいません。お父様は
石州流のお茶をよくなさるけれど、書画には一向趣味をお持にならないのでした。 お....
「妾宅」より 著者:永井荷風
薄暗い床《とこ》の間《ま》に、極彩色《ごくさいしき》の豊国《とよくに》の女姿が、
石州流《せきしゅうりゅう》の生花《いけばな》のかげから、過ぎた時代の風俗を見せて....
「十日の菊」より 著者:永井荷風
とを徒費したことを悔《く》いていない。わたしは平生《へいぜい》草稿をつくるに必ず
石州製の生紙《きがみ》を選んで用いている。西洋紙にあらざるわたしの草稿は、反古と....