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石橋
「石橋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
石橋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「偸盗」より 著者:芥川竜之介
に身を固めて、脛布《はばき》藁沓《わろうず》の装いもかいがいしく、門の前に渡した
石橋へ、むらむらと集まって、列を作る――と、まっさきには、太郎がいた。それにつづ....
「藪の中」より 著者:芥川竜之介
搦《から》め取った時には、馬から落ちたのでございましょう、粟田口《あわだぐち》の
石橋《いしばし》の上に、うんうん呻《うな》って居りました。時刻でございますか? ....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
り、夢のごとく眼を遮る。合歓の花ぞ、と心着いて、流の音を耳にする時、車はがらりと
石橋に乗懸って、黒の大構の門に楫が下りた。 「ここかい。」とひらりと出る。 「へ....
「吉原新話」より 著者:泉鏡花
わ。若旦那って才ちゃんが言うのよ。お父さんはね、お侍が浪人をしたのですって、――
石橋際に居て、寺子屋をして、御新造さんの方は、裁縫を教えたんですっさ、才ちゃんな....
「伯爵の釵」より 著者:泉鏡花
反橋である。巌と石の、いずれにも累れる牡丹の花のごときを、左右に築き上げた、銘を
石橋と言う、反橋の石の真中に立って、吻と一息した紫玉は、この時、すらりと、脊も心....
「南地心中」より 著者:泉鏡花
」 「ほう、」 と唐突に声を揚げて、男衆は小溝を一つ向うへ跳んだ。初阪は小さな
石橋を渡った時。 「私は旅行をした効があると思った。 声は届かないけれども、趣....
「照葉狂言」より 著者:泉鏡花
ものかは。小親の牛若さこそとならば、いまに見よ、われ癒えなば、牡丹の作物蔽い囲む
石橋の上に立ちて、丈六尺なるぞ、得意の赤頭ふって見せむ。さらば牛若を思いすてて、....
「怨霊借用」より 著者:泉鏡花
練は練廻って剰す処がなかったほど、温泉の町は、さて狭いのであった。やがて、新造の
石橋で列を造って、町を巡りすました後では、揃ってこの演芸館へ練込んで、すなわち放....
「明治十年前後」より 著者:淡島寒月
た記念さるべき人である。後、不幸にも狂人になった)、内田魯庵(その頃は花の屋)、
石橋忍月、依田百川などの諸君に、それを見せることが出来たのである。 西鶴は私の....
「瘤」より 著者:犬田卯
かいう役目をかねていて、三日にあげずにその辺をうろつき廻り(たとえばどこの田圃の
石橋はどうなっているとか、伝染病の予防施設がどうとか、そんなちょっとした通りがか....
「式部小路」より 著者:泉鏡花
見えたのは、塀に溢るるむらもみじ、垣根を繞る小流にも金襴颯と漲ったので。 その
石橋を渡った時、派手な裾捌きにちらちらと、かつ散る紅、かくるる黒髪、娘は門を入っ....
「卵塔場の天女」より 著者:泉鏡花
で、その六方石を私に教えようとして、弾かれたように指を引いた。直ぐそれから、池の
石橋を一つ、楽屋口へ行くと、映山紅、桜の根に、立ったり踞んだり、六七人むくむくと....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
ってから漸と用事が解った。その頃|村山龍平の『国会新聞』てのがあって、幸田露伴と
石橋忍月とが文芸部を担任していたが、仔細あって忍月が退社するので、(あるいは既に....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
解の訳文を平易に評釈して世間に示し、口を極めて原作と訳文との妙味を嘖々激称したは
石橋忍月であった。当時の一般読者が『あいびき』の価値をほぼ了解してツルゲーネフを....
「浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
、はなはだ残念しごくといわなければならないと思うのであります。自民党のなかにも、
石橋湛山氏、松村謙三氏のように常識をもち、よい見通しをもった方々がおるのでありま....