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石浜
「石浜〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
石浜の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「梵雲庵漫録」より 著者:淡島寒月
帯の土地は、昔は石が少かったそうである。それと反対に向河岸の橋場から今戸辺には、
石浜という名が残っている位に石が多かった。で、江戸もずっと以前の事であろうが、石....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
の中心点が大塚と行徳と荒芽山である。野州路や越後路はその裏道で甲斐の石和や武蔵の
石浜は横路である。富山や京都は全く別系統であって、富山が八犬の発祥地であるほかに....
「赤外線男」より 著者:海野十三
ハッと思いあたることがあるらしく、激しく息を弾ませながら問いかえした。 「浅草の
石浜というところで、昨夜の一時ごろ、男と女とが刺し殺された。方法は同じことです。....
「鐘ヶ淵」より 著者:岡本綺堂
いうことを、ここでは説かないことにしなければならない。口碑によれば、むかし豊島郡
石浜にあった普門院という寺が亀戸村に換地をたまわって移転する時、寺の什物いっさい....
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
つには「自由と青年」(『中公』・矢内原忠雄)や「統制経済と国家権力」(『改造』・
石浜知行)や「資本主義と農業」(同・向坂逸郎)などの一群と、二つには如是閑のもの....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
職教授列伝 免職大学教授として有名なのは、東大の所謂三太郎と九大の佐々、向坂、
石浜の三幅対だろう。この人達は今更私は述べようとは思わぬ。尤も今では前者の中、大....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
学者の陣営を切りまくっている。これはそれ程評判が良くはなかったようだが――例えば
石浜知行氏の批評――、そしてこの評判は一般に当っているのだが、併し大森氏の衝いた....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
塚金之助、服部之総、羽仁五郎、それから猪俣津南雄、土屋喬雄、向坂逸郎、有沢広巳、
石浜知行、佐々弘雄、大森義太郎、其他の諸氏を数えることが出来る。多少とも唯物論的....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
風沢《さぶさわ》の左太夫、銀三郎、民之助、左平、津太夫、小竹浜の茂七郎、吉次郎、
石浜の辰蔵、源谷室浜の儀兵衛、太十ら十六人、江戸へ向けての材木と、穀物千百石を積....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
を願っておいてよろしいのです。 とにかくに、この早手は翌日の夕方、無事に大津の
石浜に着くと同時に、早くも宵闇《よいやみ》にまぎれて、町のいずれかに姿を消してし....
「我が円朝研究」より 著者:正岡容
の義理ある兄倉岡元仲が江島屋養子安次郎の父や、小松の母の殺害事件があり、トド浅草
石浜の鏡ヶ池で仇元仲を仕止めるという終末なのであるが、倉岡元仲という悪人の性格に....
「武蔵野」より 著者:山田美妙
しても二方(新田義宗と義興)の御手並み、さぞな高氏づらも身戦いをしたろうぞ。あの
石浜で追い詰められた時いとう見苦しくあッてじゃ」 「ほほ御主、その時の軍に出なさ....
「新感覚論」より 著者:横光利一
学形式をとることに於て、表現派とダダイズムは例えば今東光氏の諸作に於けるが如く、
石浜金作氏の近作に於けるが如く、時間空間の観念無視のみならず一切の形式破壊に心象....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
金井、人見の原の合戦にもやぶれた。こんなとき、彼はさいごの物までは賭けない。陣を
石浜(青梅線の多摩川原)に移して、甲州、相模、武蔵の兵をさらに糾合した。そして次....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
太田|道灌の一族だの、千葉氏の一党が、幾たびも興り、幾度も亡んだ跡が――この先の
石浜の河原だそうな」 話しながら、歩き出すと、菰の十郎とお稚児のふたりは、もう....