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石清水
「石清水〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
石清水の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
一橋慶喜以下の諸有司、それに在京の諸藩士が鳳輦に供奉したことが報じてあり、さらに
石清水へも行幸の思し召しがあって、攘夷の首途として男山八幡の神前で将軍に節刀を賜....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
いる。その便りには、香蔵を京都に迎えたよろこびが述べてあり、かねてうわさのあった
石清水行幸の日のことがその中に報じてある。 景蔵の手紙はなかなかこまかい。それ....
「死までを語る」より 著者:直木三十五
、旧姓山県九郎右衛門という(この人について、御存じの方は御一報願いたい)、後に、
石清水八幡の宮司となり、生玉神社にも仕えたが、遂に、浪々の身となって、何ういうの....
「源氏物語」より 著者:紫式部
、さらに背丈をそろえてとられたのであった。落選して歎く風流公子もあった。奏楽者も
石清水や賀茂の臨時祭に使われる専門家がより整えられたのであるが、ほかから二人加え....
「八幡太郎」より 著者:楠山正雄
りっぱな宝剣を頂いたという夢を見ると、間もなく八幡太郎が生まれました。七つの年に
石清水八幡のお宮で元服して、八幡太郎義家と名のりました。 義家は子供の時から弓....
「尊攘戦略史」より 著者:服部之総
名な出来事を列挙しただけでも、攘夷祈願のための加茂《かも》行幸(三月)を皮切りに
石清水《いわしみず》行幸(四月)、そのとき五月十日攘夷期限の詔勅。その五月十日か....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
かれた歴史文学の「村上源氏、にひまくら」の章にのっている話だが、源雅定が若い頃、
石清水臨時祭へ勅使となって臨んだことがあったが、式がすんで退出するとき、松の梢に....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
物のどよめきの中やらで、思うざま、恋を味わうことができた。 また、正中元年の、
石清水行幸にも、元成は、曠れの車副いに立ち、派手ずきな主の好みで、他の侍八人と共....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
でうけた恩賞の地の由ですが、いらい本地よりは、阿波に住みついて、同所の仁和寺領や
石清水八幡領の“領所預かり”などをしながら、しだいに海賊としての大きな地盤を、小....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
十日の夜は、そうしておれぬ」 「なにか、ご政務でも」 「きょうきめたばかりだが、
石清水へ詣って、二十一日二日と、参籠の約になっておる」 「…………」 ふと、歓....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ませぬ」 「思い出される」 「何事を?」 「あれは建武元年の秋、紅葉のさかり頃。
石清水の行幸にしたがい、われらも、また足利殿も、供奉いたしたことがあった」 「男....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
。 尊氏旗上げの地、篠村八幡では、尊氏直筆の“願文”を見た。尊氏の筆蹟は、例の
石清水の仮名がきの願文でも、このようなかたい楷書の物でもみな武将に似あわずどこか....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
三年駅に向った。 金沢柵址の八幡神社は、伝えて八幡太郎義家が、羽州鎮護のために
石清水から分霊奉祀したものだという。慶長九年、佐竹義宣社殿改修の時の棟札に、出羽....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
ことが出来なかったように想像する者が多くなったことなのかと思います。すなわちこの
石清水八幡の伝説なども、後になるほどだんだんに数が多くなったわけでありますが、そ....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
ても、それから数日間は遠慮しなければならぬ。その日数は神社によって相違があって、
石清水八幡宮がことに甚だしく、春日神社・稲荷神社・賀茂神社など、またいずれも厳重....