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砌
「砌〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
砌の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「さまよえる猶太人」より 著者:芥川竜之介
下《しも》のような具合である。
上人《しょうにん》「御主《おんあるじ》御受難の
砌《みぎり》は、エルサレムにいられたか。」
「さまよえる猶太人」「如何《いか》に....
「恩讐の彼方に」より 著者:菊池寛
ら、いかに僧形に身をやつすとも、よも忘れはいたすまい。汝、市九郎と呼ばれし若年の
砌《みぎり》、主人中川三郎兵衛を打って立ち退いた覚えがあろう。某《それがし》は、....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
れても、かならずお恨みとは存じないのであるが、喧嘩両成敗という掟にはずれて、その
砌りに町家の子どもには何の御折檻も加えられず、武家の子供ばかりに厳重の御仕置をな....
「修禅寺物語」より 著者:岡本綺堂
じておろう。予には比企の判官能員の娘|若狭といえる側女ありしが、能員ほろびしその
砌に、不憫や若狭も世を去った。今より後はそちが二代の側女、名もそのままに若狭と言....
「東京要塞」より 著者:海野十三
っくりするような大きな贈物をするというニュースを披露した。それはかつて欧洲大戦の
砌、遥々欧洲の戦場に参戦して不幸にも陣歿したわが義勇兵たちのため建立してあった忠....
「白金之絵図」より 著者:泉鏡花
へお越しになるんで。」 「いささかこの辺へ用事があっての。当年たった一度、極暑の
砌参ったばかり、一向に覚束ない。その節通りがかりに見ました、大な学校を当にいたし....
「神鷺之巻」より 著者:泉鏡花
来候との事、御安心下され度候趣、さて、ここに一昨夕、大夕立これあり、孫八老、其の
砌某所墓地近くを通りかかり候折から、天地|晦冥、雹の降ること凄まじく、且は電光の....
「薄紅梅」より 著者:泉鏡花
からと、鉛筆を軽く紙片に走らせた。 この会計だが、この分では、物価|騰昇寒さの
砌、堅炭三俵が処と観念の臍を固めたのに、 「おうう、こんな事で。……光栄です。」....
「死者の書」より 著者:折口信夫
の婢女が、息をきらして走って来て、何時もなら、許されて居ぬ無作法で、近々と、廬の
砌に立って叫んだ。 なに――。 皆の口が、一つであった。 郎女様か、と思われるあ....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
でございました。 御前揮毫の栄には、その後二度浴しました。大正六年に京都行啓の
砌、京都市公会堂で、梅の木を配して鶯の初音をきいている享保時代の娘を描きました。....
「白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
木に縁づいたのは二十二の春――弥生ごろだったと思います。その夏、土用あけの残暑の
砌、朝顔に人出の盛んな頃、入谷が近いから招待されて、先生も供で、野郎連中六人ばか....
「卵塔場の天女」より 著者:泉鏡花
めに、しかも反っていたのを、ちょうど私の傍に居合わせた、これはまた土用中、酷暑の
砌を御勉強な、かたぎ装の本場らしい芸妓を連れた、目立たない洋服の男が居て、件の色....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
に対する守田勘弥の返書は、こうであった。 貴翰奉拝読候。陳者客歳六月該場開業之|
砌、各位御招待申上候御報謝として、華麗之引幕一張御恵賜被成下、御芳志之段|難有奉....
「飛騨の怪談」より 著者:岡本綺堂
るのは、実際気の毒であった。本人が自白する通り、過ぎし夏に冬子の兄忠一が帰郷した
砌、若い同士が連れ立って唯一度|彼の柳屋へ遊びに行ったことが有る。忠一は元気の好....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
す。 「おあん物語」という古書があります。家康の軍勢に大垣城が取囲まれ、落城する
砌の実状を、そのとき城中にあった、おあんという女の想い出話の記録であります。 ....