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砲術
「砲術〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
砲術の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「空襲葬送曲」より 著者:海野十三
方へ旋回して行った。 測距儀に喰い下っている士官は、忙しく数字を怒鳴っていた。
砲術長は、高声器から、射撃命令を受けとると腕時計を見守りながら電気発火装置の主桿....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
古屋藩の方に聞こえた宮谷家から後妻を迎えている人で、関所を預かる主な給人であり、
砲術の指南役であり、福島でも指折りの武士の一人であった。ちょうど非番の日で、菖助....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
出している。東は贄川の桜沢口へ。西は妻籠の大平口へ。もっとも、妻籠の方へは福島の
砲術指南役|植松菖助が大将で五、六十人の一隊を引き連れながら、伊那の通路を堅める....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
社分社からの帰り路を要撃し、その首級を挙げた。菖助は関所を預かる主な給人である。
砲術の指南役でもある。その後妻は尾州藩でも学問の指南役として聞こえた宮谷家から来....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
んの教養は、まったく彼女の母から来ている。母は、高遠の内藤大和守の藩中で、坂本流
砲術の創始者として知られた坂本孫四郎の娘にあたる。ゆえあって母は初婚の夫の家を去....
「家」より 著者:島崎藤村
白壁にもあり、更に高い石垣の上に咲く夕顔|南瓜などの棚にもあった。この家の先代が
砲術の指南をした頃に用いた場所は、まだ耕地として残っていたが、その辺から小山の頂....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
た。下曾根さんは旧幕名家の出、伊豆|韮山の江川太郎左衛門と相並んで高島秋帆門下の
砲術の名人であった下曾根金之丞は父でした。
砲術家の三男に生れた下曾根さんは、夙に....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
。実母の里を交野といって、そこには私からいうと祖母と叔父とその妻子がいた。叔父は
砲術に長けていたが、武人であったから日々の勤というはなくて、至って閑であった。叔....
「宝島」より 著者:佐々木直次郎
わかった。謀叛人どもは吾々の思ったよりも大胆であった。それとも彼等はイズレールの
砲術に案外信頼していたのだ。というのは、四五人の奴らが頻りに吾々の荷物を運び去っ....
「赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
で後年号を雪斎と云った。この雪次郎は面白いことには、江川塾へ這入ったものの、別に
砲術を究めるでもなく、又蘭学を学ぶでもなく、のらりくらりとしていたが、俄然一書を....
「潜航艇「鷹の城」」より 著者:小栗虫太郎
、夜明けまでには、晩香波へ着く。それに、本船には大砲があるのだ。ヴィデ君、君も、
砲術にかけては、撰り抜きの名手じゃないか。ハハハハ、出たらグワンと一つ、御見舞申....
「純粋経済学要論」より 著者:手塚寿郎
って利用せられることがあり得る。広がりの関係の学問である幾何学は、測量師・技師・
砲術家・航海家・建築家の仕事を照し指導する。化学は薬剤師・染物屋・多数の工業に援....
「死剣と生縄」より 著者:江見水蔭
えていなければ成らないので、大概なら剣道とか槍術とか、そんな方は見切りをつけて、
砲術を学んだ方が為に成る。それには一度毛唐人の国へ行って来た方が好いとのお話……....
「母と娘」より 著者:岡本かの子
喧騒の中に在って沈着に大砲を準備して居る老人は此の村の村長でもう七十歳にもなるが
砲術の名人で二十八年間此の役を引受けてやっているそうです。今此の村の農作物に恐る....
「福沢諭吉」より 著者:高山毅
たじん地)をつくって、江戸(いまの東京)の城をまもろうとしました。そのためには、
砲術(大砲のつかいかた)をまなばなければならないと、やかましくいわれはじめました....