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「硬派〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

硬派の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
小さいアルバム」より 著者:太宰治
供する次第だ。それにしても、どうも、こいつは、ひどいねえ。そのころ高等学校では、硬派と軟派と対立していて、軟派の生徒が、時々、硬派の生徒に殴《なぐ》られたもので....
ヰタ・セクスアリス」より 著者:森鴎外
して境遇上の弱者であった。 性欲的に観察して見ると、その頃の生徒仲間には軟派と硬派とがあった。軟派は例の可笑《おか》しな画を看《み》る連中である。その頃の貸本....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
派と、他殺ならば其の下手人を探し出して、相当の仕置を受けさせるが順道であるという硬派と、議論は二派に分かれたが、お才はどうしても主人のかたきを取って貰いたいと強....
武装せる市街」より 著者:黒島伝治
なかった。 内川は三ツ股かけと呼ばれていた。 カタイ大ッピラな燐寸工場以外、硬派と軟派を兼ねているからだ。 ここの硬派、軟派は、新聞社内の二つの区別じゃ勿....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
る人たちがあった。尾州に名高い金鉄組とは、法外なイギリスの要求を拒絶せよと唱えた硬派の一団である。江戸の留守役をあずかり外交当局者の位置に立たせられた藩主側は、....
社会時評」より 著者:戸坂潤
。とに角日本を離れない限り、スポーツマンは命が危い。 明大の木下総長は強硬な強硬派なので、説得使を門司にまでも走らせて、選手に不参加を説得した上、それで聴かな....
赤旗事件の回顧」より 著者:堺利彦
いて、それが一団となって金曜会というを作り、毎週神田で講演会をやったりしていた。硬派、軟派という言葉も、当時よく使われていた。それでわたしはある時、田添君から長....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
した。 江戸末期の停滞が産んだ、我々旗本浪人のうちの不良に二種類がある、それは硬派の不良と、軟派の不良だ。 その勝の親父の如きは、当然、硬派の不良に属してる....
鷹を貰い損なった話」より 著者:寺田寅彦
小学時代の先生方から学校教育を受けた外に同学の友達からは色々の大切な人間教育を受けた。そういう友達の中にも硬派と軟派と二種類あって、その硬派の首領株からはだいぶいじめられた。板垣退助を戴....
虎狩」より 著者:中島敦
らしかねない彼のことだし、それにその頃から荷風の小説を耽読《たんどく》する位で、硬派の彼等から見て、些《いささ》か軟派に過ぎてもいたので、これは上級生達から睨ま....
安吾巷談」より 著者:坂口安吾
し、女郎買いに行ったりして、一般の中学生の目には異様であるが、ヨタモノとは違う。硬派、軟派の本ヨタは、年齢的には、むしろ普通の中学生に多かった。 落語で云うと....
百万人の文学」より 著者:坂口安吾
」や「宮本武蔵」が宗教的なふん囲気をもって熟読されている事実は是非もなく、これを硬派の読まれ方とすれば、前者は軟派的、女性的であり、一方が合掌的に、一方がため息....
三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
たず、山田良叔先生の『蘭氏生理学生殖篇』を暗記などばかりしているというのだから、硬派の連中からは軽蔑の眼を以て見られた向もあったとおもうが、済生学舎の長谷川泰翁....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
道を踏んで通学した。 その頃三次の中学には美少年騒ぎが非常に盛んであった。但し硬派の系統のものであった。何しろ中学が地方の最高学府なので、上級生たちは筒袖がき....