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「碣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

碣の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
名人伝」より 著者:中島敦
り背に負うた楊幹麻筋《ようかんまきん》の弓を外して手に執《と》った。そうして、石《せきけつ》の矢をつがえると、折から空の高くを飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って....
倫敦塔」より 著者:夏目漱石
反語のうち自《みずか》ら知らずして後世に残す反語ほど猛烈なるはまたとあるまい。墓《ぼけつ》と云い、紀念碑といい、賞牌《しょうはい》と云い、綬賞《じゅしょう》と....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
托し置いて、明治四十一年の秋悶死した。而して、恩人乃木将軍が其名を書いてくれた墓が故山に建てられた明治四十二年十二月小説寄生木が世に出た。即ち将軍は幕下の彼が....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
は容易く見附けられた。南向の本堂の西側に、西に面して立っている。「抽斎渋江君|墓銘」という篆額も墓誌銘も、皆|小島成斎の書である。漁村の文は頗る長い。後に保さ....
『吾輩は猫である』中篇自序」より 著者:夏目漱石
季子は剣を墓にかけて、故人の意に酬《むく》いたと云うから、余も亦《また》「猫」を頭《けっとう》に献じて、往日の気の毒を五年後の今日に晴そうと思う。 子規は死....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、見るともなしに見ているお角の耳へは、無論この二人の問答は入りませんが、満地の墓《ぼけつ》の間にただ二人だけが、低徊《ていかい》して去りやらぬ姿は、手に取るよ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
《かうたんらくげつ》また西に斜めなり 斜月沈々として海霧《かいむ》に蔵《かく》る石瀟湘《けつせきせうしやう》限り無きの路 知らず月に乗じて幾人か帰る 落月情を....
四十八人目」より 著者:森田草平
を始め十余名の同志は、かねての牒合せに従って、その日早く高輪泉岳寺にある先君の墓に参拝した。堀部安兵衛も同宿の毛利小平太、横川勘平を代表して、その席に列なった....
書について」より 著者:高村光太郎
無いような字を書いているのが世上に滔々たる書匠である。 四 漢魏六朝の碑の美はまことに深淵のように怖ろしく、又実にゆたかに意匠の妙を尽している。しかし....
西瓜」より 著者:永井荷風
かった学者のことが説かれている。今わたくしがこれに倣《なら》って、死後に葬式も墓《ぼけつ》もいらないと言ったなら、生前自ら誇って学者となしていたと、誤解せられ....
三国志」より 著者:吉川英治
へ。 第三|陳紀は、沂都路へ。 第四|雷薄は、瑯※へ。 第五|陳闌の一軍は石へ。 第六軍たる韓暹は、下※へ。 第七軍の楊奉は峻山へ。 ――この陣容....