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「碩〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

碩の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
っしょうじ》の隆秀阿闍梨《りゅうしゅうあじゃり》でおわすそうな。世にも誉れの高い学《せきがく》の聖《ひじり》、わたくしも一度お目見得して、眼《ま》のあたりに教....
蘭学事始」より 著者:菊池寛
が、毎日のように押しかけていた。 ことに御医術の野呂玄丈や、山形侯の医官安富寄、同藩の中川淳庵、蔵前の札差で好事の名を取った青野長兵衛、讃岐侯の浪人平賀源内....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
扈である。 『長興記』をして、「本朝五百年来此の才学なし」とまで評さしめた当時の学一条|兼良は『樵談治要』の中で浩歎して述べて居る。 「昔より天下の乱るゝこと....
近時政論考」より 著者:陸羯南
分に政理を講明して吾人のために燈光を立てたる者は寥々たり、けだし中興以来の政府は学鴻儒を羅し去りてこれを官海に収め、かれらの新政理を民間に弘むることを忌む。こ....
灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
の一と箱を此方へよこせと※くものもあった。古今の英雄の詩、美人の歌、聖賢の経典、儒の大著、人間の貴い脳漿を迸ばらした十万巻の書冊が一片業火に亡びて焦土となった....
神秘昆虫館」より 著者:国枝史郎
》して泡立っている。広い額、窪んだ眼窩、その奥で輝いている霊智的の眼! まさしく学《せきがく》に相違ない。きわめて高尚な高い鼻、日本人に珍らしい希臘型《ギリシ....
独本土上陸作戦」より 著者:海野十三
れは折柄丁度、英軍の高射砲が襲来独機を射撃中であって、その高射砲弾の破片が、この学泰斗の右足に当り、呪いにみちた傷を負わしめたのであった。が、まあ大したことは....
薄紅梅」より 著者:泉鏡花
!……天晴れ、と一つ煽いでやろうと、扇子を片手に、当時文界の老将軍――佐久良藩の儒で、むかし江戸のお留守居と聞けば、武辺、文道、両達の依田学海翁が、一夏土用の....
生死卍巴」より 著者:国枝史郎
で手を延ばして、珍器名什を蒐集することによって、これまた世人に謳われている松平|寿翁その人なのであった。 (立派な人物が二人まで揃って、面白い話を話して行く。....
瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
る可しとて、当時の事情を説くこと頗る詳なり。余すなわちその事実に拠り一文を草し、果生の名を以てこれを同二十五日の時事新報に掲載せり。実に先生|発病の当日なり。....
瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
に就れんとする際|発病、終に起たれず。哀哉。 嗚呼、先生は我国の聖人なり。その徳偉業、宇宙に炳琅として内外幾多の新聞|皆口を極めて讃称し、天下の人の熟知する....
明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
ほど衰えてその代表者といわれる人はきわめて少数であるが、明治の初年にはまだ相当に学《せきがく》がおったのである。安井息軒、元田東野、重野成斎、川田甕江、大槻磐....
西航日録」より 著者:井上円了
を一覧し、スピノザ翁の銅像に参拝す。 遠尋遺跡入蘭東、像立海牙城市中、身起賤民成学、応知翁亦一英雄。 (遠く遺跡をたずねて蘭東部に入る。スピノザの像は海牙市街....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
にて「黄門記童幼講釈」を初演。団十郎の水戸黄門、菊五郎の河童の吉蔵、仲蔵の盲人玄、いずれも好評。 ○二月二十三日より新富座にて、西南戦争を脚色したる「西南雲晴....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
の仰望と焦燥とが感じられるのである。その正徹の態度を大いにみとめていた室町第一の学一条摂政兼良は、正徹の寂後十数年を経て、『古今集|童蒙抄』を著したが、その中....