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「磋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

磋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
邪宗門」より 著者:芥川竜之介
《きだい》の名人だったのでございます。 若殿様はこの少納言の御手許で、長らく切琢磨《せっさたくま》の功を御積みになりましたが、さてその大食調入食調《だいじき....
ロマネスク」より 著者:太宰治
は酒とおなじようにだんだんと適量がふえて来る。次第次第に濃い嘘を吐いていって、切琢磨《せっさたくま》され、ようやく真実の光を放つ。これは私ひとりの場合に限った....
山月記」より 著者:中島敦
。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切琢磨《せっさたくま》に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の....
演技指導論草案」より 著者:伊丹万作
かでほとんど無為に似た形式をとりながら、その実、当事者間には激しい精神の交渉、切、琢磨がつづけられ、無言のうちに指導効果が刻々上昇して行くといった形において想....
弟子」より 著者:中島敦
》とが、孔子を待ち受けていたもののすべてである。 それでもなお、講誦を止めず切《せっさ》を怠《おこた》らず、孔子と弟子達とは倦《う》まずに国々への旅を続けた....
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
ハ旧黒田藩喜多流ノ能楽師ナリ。明治四十三年九十四歳ヲ以テ歿ス。弱冠ニシテ至芸、切一家ヲ成ス。喜多流宗家|六平太氏未ダ壮ナラズ、嘱セラレテ之ヲ輔導ス。屡雲上高貴....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
になろう。それが何よりのご恩返しだ」 それからの彼と云うものは、武事に文事に切琢磨し、事ごとに他人の眼を驚かせた。 この彼の大勇猛心には、乗ずべき隙もなか....
連環記」より 著者:幸田露伴
るようで面白いと云いたい。 慾を捨て道に志すに至る人というものは、多くは人生の躓にあったり、失敗窮困に陥ったりして、そして一旦開悟して頭を回らして今まで歩を....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
するだったろうにというのらしい。だから日本の科学者は、僅少の寄付からでも、先ず切琢磨して世界民衆の大勢を支配する業績を挙げようじゃないか、というのだ。 しか....
魔都」より 著者:久生十蘭
百倍の誇張を用いても、この時の真名古の心情を充分に形容することは困難であろう。切骨を刻むが如き努力の成果と、金剛不壊の真名古の信念は、こういう恍けた二つの現象....
つづれ烏羽玉」より 著者:林不忘
七郎、広岡|子之次郎《ねのじろう》、遊佐銀二郎、山口|辰之介《たつのすけ》、海後磯之助《かいごさきのすけ》――名を聞いただけでも恐ろしい面だましい。 大関を....
『七面鳥』と『忘れ褌』」より 著者:佐藤垢石
眼に描いた。 五人は、他の同志のくるのを千秋の思いで待った。やがて第一番に海後磯之介と山口辰之介が絵馬堂を捜してきた。次に、関鉄之介、野村彝之介、木村権之衛....
学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
日本の文明も、そのはじめは朝鮮・支那より来たり、爾来《じらい》わが国人の力にて切琢磨《せっさたくま》、もって近世の有様に至り、洋学のごときはその源《みなもと》....
慶応義塾の記」より 著者:福沢諭吉
今ここに会社を立てて義塾を創《はじ》め、同志諸子、相ともに講究|切《せっさ》し、もって洋学に従事するや、事、もと私《わたくし》にあらず、広くこれ....
小説 円朝 あとがき」より 著者:正岡容
いってしまった。十一月末日、修善寺へ。そこの湯宿の一室にして、年少の日の圓朝が切琢磨の修業の上に自分自身を見出したことによって初めて私は、豁然と音立てて心の壁....