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磧
「磧〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
磧の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「秋山図」より 著者:芥川竜之介
ちょう》の画《え》の神手《しんしゅ》である。※南田はこう言いながら、かつて見た沙
磧図《させきず》や富春巻《ふうしゅんかん》が、髣髴《ほうふつ》と眼底に浮ぶような....
「義血侠血」より 著者:泉鏡花
謹厳、その行ないを質《ただ》せば学問好き。 二 金沢なる浅野川の
磧《かわら》は、宵々ごとに納涼の人出のために熱了せられぬ。この節を機として、諸国....
「ある心の風景」より 著者:梶井基次郎
はそのまままた寝入った。 四 喬は丸太町の橋の袂《たもと》から加茂|
磧《かわら》へ下りて行った。
磧に面した家々が、そこに午後の日蔭を作っていた。 ....
「桜の樹の下には」より 著者:梶井基次郎
だ。しばらく歩いていると、俺は変なものに出喰《でく》わした。それは溪の水が乾いた
磧《かわら》へ、小さい水溜を残している、その水のなかだった。思いがけない石油を流....
「蠅男」より 著者:海野十三
暖くてまるで春のようであった。冬の最中とはいえ真青に常緑樹の繁った山々、それから
磧の白い砂、ぬくぬくとした日ざし――帆村はすっかりいい気持になって、ブラブラと橋....
「絵本の春」より 著者:泉鏡花
根板は、鱗のように戦いて、――北国の習慣に、圧にのせた石の数々はわずかに水を出た
磧であった。 つい目の前を、ああ、島田髷が流れる……緋鹿子の切が解けて浮いて、....
「古狢」より 著者:泉鏡花
て、通いは庭下駄で、おも屋から、その方は、山の根に。座敷は川に向っているが、すぐ
磧で、水は向う岸を、藍に、蒼に流れるのが、もの静かで、一層床しい。籬ほどもない低....
「南地心中」より 著者:泉鏡花
へ、ほかほかと甲を干した、木の葉に交って青銭の散った状して、大小の亀は十ウ二十、
磧の石の数々居た。中には軽石のごときが交って。―― いずれ一度は擒となって、供....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
蛛の糸巻』に馬琴を出藍の才子と称し、「読本といふもの、天和の西鶴に起り、自笑・其
磧、宝永正徳に鳴りしが馬琴には三舎すべし」と、京伝側を代表する京山が、これもまた....
「京のその頃」より 著者:上村松園
頃はないので、こうした親子連れの町芸人の芸などもしんみり聞けたのだった。 夏の
磧の容子にしても味があった。川幅がもっと広くて、浅い水がゆるゆると流れていた。四....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
うようなものは最高文学に対する理解があるはずがなかった。面白ずくに三馬や京伝や其
磧や西鶴を偉人のように持上げても、内心ではこの輩が堂々たる国学または儒林の先賢と....
「穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
信濃、横尾の空沢、嘉門次」という。空沢とは、水なき故なりと。上方は、兀々とした大
磧、その間を縦に細長く彩色しているのは草原、下方は、偃松、ミヤマハンノキ、タケカ....
「知々夫紀行」より 著者:幸田露伴
お昨夜の名残の電光す。涼しき中にこそと、朝餉済ますやがて立出ず。路は荒川に沿えど
磧までは、あるは二、三町、あるいは四、五町を隔てたれば水の面を見ず。少しずつの上....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
です。ちょうど一里ばかり降って行きますともうはや雪もなくなった。さあそうすると石
磧です。ようやく
でゴロゴロした石が一面に散らばって居てどこに足を突っ込んでよ....
「五重塔」より 著者:幸田露伴
なお清らかに流れて岸を洗うて居る大きな川に出で逢うた、その川の中には珠のような小
磧やら銀のような砂でできて居る美しい洲のあったれば、長者は興に乗じて一尋ばかりの....