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礼遇
「礼遇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
礼遇の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「若き日の成吉思汗」より 著者:林不忘
ることを、お信じ下さいまし。成吉思汗《ジンギスカン》は妾を、敵将の妻として、厚く
礼遇《もてな》してくれましただけで、ほんとうに何事もございませんでした。 札木合....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
必ず氏の意見を聴くことを屑《いさぎよ》しとせざるが故に、帝の命令はただ氏に対する
礼遇たるに止まるべきことを予言し、更にまた詳細に法典編纂の主義手続などを説明して....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
所は本所二つ目の上屋敷であっただろう。謁見即ち目見は抽斎が弘前の士人として受けた
礼遇の始で、これから月並出仕を命ぜられるまでには七年立ち、番入を命ぜられ、家督相....
「爆弾太平記」より 著者:夢野久作
正俊大将閣下は、特に吾輩の功績を認めて、一躍、総督府の技師に抜擢し、大佐相当官の
礼遇を賜う事になった。苟くも事、朝鮮の産業に関する限り、米原物産伯爵、浦上水産翁....
「連環記」より 著者:幸田露伴
で、彼土の人々も流石に神州の高徳と崇敬したのであった。で、知礼は寂照を上客として
礼遇し、天子は寂照を延見せらるるに至った。宋主が寂照を見たまうに及びて、我が日本....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
目に宗秩寮審議会を開かなければならなくなった。竹内良一が岡田嘉子と出奔して華族の
礼遇を停止されて以来六年目なのだが、今度の審議の内容はその量から云っても質から云....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
極意であります。これが正札の原則で、目前の小利に眩惑して価を上下し、貴賤によって
礼遇を差別するが如きは商売の堕落であって真の商人たる価値なき者であります。商品に....
「日本男子論」より 著者:福沢諭吉
りある貴賓の来遊したるとき、東京の紳士と称する連中が頻《しき》りに周旋奔走して、
礼遇至らざる所なきその饗応の一として、府下の芸妓《げいぎ》を集め、大いに歌舞を催....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
により、チロオヌを戦場で打ちのめすでしょう。この勲功に対しては、女王陛下のどんな
礼遇も、いままでの限度では、御褒美とも申せないだろう」 このさい、またしてもの....
「三国志」より 著者:吉川英治
。 玄徳の旅舎は丞相府のひだりに定められた。特に一館を彼のために与えて、曹操は
礼遇の意を示した。 のみならず、翌日、朝服に改めて参内するにも、玄徳を誘って、....
「三国志」より 著者:吉川英治
を聞けば、仁義を教えず、かえって、不仁の佞智をわれにささやく。玄徳はそういう客へ
礼遇はできない。早く立ち帰ったがよかろう」 「ははは、なるほど、劉玄徳は、うわさ....
「三国志」より 著者:吉川英治
年には、結果を告げて、 「実に、あなたの一言は、わが軍に幸いした」 と、あつく
礼遇した。 この前後、荊州から馬良が使いに来た。馬良は、荊州の留守をまもる孔明....
「三国志」より 著者:吉川英治
そかに、 (呉、侮るべからず)と、痛感したようであった。 しかし孫権はあらゆる
礼遇と歓待とをもって使節に接した。そして大魏皇帝の名によって贈られた呉王の封爵も....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
離さなかった。わがうけた采邑の一部を割いてこれを禄し、以後、黒田家の客分として、
礼遇も落とさず、その子孫を世々養ってゆくこと、官兵衛一代だけでなく、明治維新の時....