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社寺
「社寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
社寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
れる価値はほとんどないように思われる。ある相当立派な西洋建築の研究家がわが国の大
社寺の実に完備していることを認め、これを称揚したのは全くほんの最近のことである。....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
勢も散々に反撃を受けて、早々に退き籠城しなければならなかった。宗徒勢は城下の民家
社寺を焼き払って陣を布いた。此頃になると宗徒勢も大軍をなす程であるから、誰か総大....
「瘤」より 著者:犬田卯
席上へ代理に出ても日当(村長は他へ出張。)こういうことのほか、役場員自身がまた、
社寺、土木、衛生、税務……などそれぞれ自分の分担事務の名目において他村へ「調査」....
「土田さんの芸術」より 著者:上村松園
のお爺さんで写真を写す一風変った人があって、まだ御維新で充分に整理のついていない
社寺の仏像や絵巻などをうんと撮影していた。お婆さんと二人きりで粗末な家に棲んでい....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
都の東寺で泰衡調伏の法を修せしめたことが『東寺長者補任』に見えるのによると、他の
社寺でも定めて同様のことが多かったのであろう。かくまでも彼は慎重の態度を執り、前....
「憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
天狗達の各地に多かったことは言うまでもない。 護法としての天狗達は、その所属の
社寺を護り、またしばしば牛若丸に剣法を授けた鞍馬の僧正坊の様に、真面目な事もやっ....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
。その代り彼らは殆ど農奴の境遇にまで堕落してしまった。全国耕地の殆どすべては院宮
社寺権門勢家の荘園となってしまって、彼らはただそれを耕作するの農奴に過ぎなかった....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
中から極めて稀に発見せらるる以外には、正倉院・三月堂・春日神社・大三島神社等の古
社寺に往々保存せられて、考古学者はこれを奈良朝頃に多く行われたものとする点におい....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
。ひとり米国は国教の組織なく公認教の制度なく、政教は全く分離して、政府中に教部省
社寺局のごとき宗教に関する官省なく、僧侶は政府よりこれをみれば、一般の人民と同等....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
流考」に説いておいた。彼らは鎌倉・室町時代には、キヨメ或いは河原ノ者と呼ばれて、
社寺都邑の掃除夫・井戸掘り・駕輿丁・植木屋などの雑職をつとめ、勿論その職掌上、世....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
寺方の掃除の為なり。 とあるのは、起原の説明としては勿論取るに足らぬが、エタが
社寺の掃除を業とした実際は、これに由って知る事が出来る。かの東寺の散所法師の如き....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
ころが、いずれも屠者以外のものであるという事は、慶長の頃までなおエタは掃除の為に
社寺に置かれたものだとの説のあった事と合せ考えて、疑問を深からしめるものがないで....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
遊女となるものもある。しかしながら彼らの取った職業の中で、最も注意すべきものは、
社寺或いは村落都邑に付属して、その警察事務を受け持ち、その安寧を保障する事であっ....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
善・福善・心覚などと、明らかに僧名と見るべきものの少からずみえているのは、彼らが
社寺荘官に属して非人の賤称をもって目せられ、雑役に服し、警察獄吏の事務に鞅掌する....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
所の者の或る者が東寺の散所法師であった事は既に観察したところである。これらは貴紳
社寺に役せられたものであるが、村落都邑に付属しても、やはり同類のものの必要であっ....