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祇
「祇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
祇の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「戯作三昧」より 著者:芥川竜之介
式亭三馬《しきていさんば》が何年か前に出版した滑稽本《こっけいぼん》の中で、「神
祇《しんぎ》、釈教《しゃっきょう》、恋《こい》、無常《むじょう》、みないりごみの....
「尼提」より 著者:芥川竜之介
ん》の白毫《びゃくごう》や青紺色《せいこんしょく》の目を知っているものには確かに
祇園精舎《ぎおんしょうじゃ》にいる釈迦如来《しゃかにょらい》に違いなかったからで....
「或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
、佯狂《ようきょう》の彼には、どのくらいつらかった事であろう。島原《しまばら》や
祇園《ぎおん》の花見の宴《えん》も、苦肉の計に耽っている彼には、苦しかったのに相....
「老年」より 著者:芥川竜之介
。うす暗い床の間には、寒梅と水仙とが古銅の瓶にしおらしく投げ入れてあった。軸は太
祇《たいぎ》の筆であろう。黄色い芭蕉布《ばしょうふ》で煤《すす》けた紙の上下《う....
「茸の舞姫」より 著者:泉鏡花
、灯した角行燈を荷ったのは天狗である。が、これは、勇しき男の獅子舞、媚かしき女の
祇園囃子などに斉しく、特に夜に入って練歩行く、祭の催物の一つで、意味は分らぬ、(....
「雪霊記事」より 著者:泉鏡花
が相場にかかって退転をしたそうです。お米さんにまけない美人をと言って、若主人は、
祇園の芸妓をひかして女房にしていたそうでありますが、それも亡くなりました。 知....
「軽女」より 著者:上村松園
をゆるめさせることの出来ないのを悟って、元禄十五年の春ころから、酒に親しみ出し、
祇園に遊んで放縦の日々を送るようになり、果ては最愛の、貞淑のほまれ高い内室までも....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
りして、ほとんど自分で勉強いたしました。いつも袂に矢立と半紙を入れて歩きました。
祇園祭りは、他の人と異なる意味で、私には特別に楽しみに待たれました。と申しますの....
「京のその頃」より 著者:上村松園
めて表の格子の内らまで駆け出しては、この流しに聞きとれたものだった。 その頃の
祇園の夜桜は、今に較べるともっともっといい恰好だったが、桜の咲く頃など
祇園さんの....
「白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
しかも著者なかま、私の友だち、境辻三によって話された、この年ごろの女というのは、
祇園の名妓だそうである。 名妓? いかなるものぞ、と問われると、浅学不通、その....
「葛飾砂子」より 著者:泉鏡花
、良い月だ、妙法蓮華経如来寿量品第十六自我得仏来、所経諸劫数、無量百千万億載阿僧
祇、」と誦しはじめた。風も静に川波の声も聞えず、更け行くにつれて、三押に一度、七....
「寛政時代の娘納涼風俗」より 著者:上村松園
過ぎません。 私の画はモデルは余り用いませんが、只顔の優しい型を取りたいために
祇甲の萬龍はんとお久はんを最初に二時間ほど来て貰いまして、顔の形を整えましただけ....
「想い出」より 著者:上村松園
にないだけに、無性に人物画が描きたくて堪らなく、その時分諸家の入札とか、或はまた
祇園の屏風祭りなどには、血眼になって、昔の古画のうちから、私の人物画の参考を漁っ....
「雨の宿」より 著者:岩本素白
よい京都である。幸い博物館には、思いがけず海北友松の特別展覧会が開かれても居る。
祇園の石段を上って、雨に煙る高台寺下の静かな通りを清水へ抜ける道筋も悪くはない。....
「六日月」より 著者:岩本素白
の細い小路にはいる辺りは、通り切れぬほどの人出であった。四条大橋を渡って華やかな
祇園の通りは、暢ん気に歩いて居れば何時通っても楽しいところである。八つ橋、豆板、....