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「祖神〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

祖神の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
道祖問答」より 著者:芥川竜之介
ゃ。」 「おう、翁とばかりでは御合点《ごがてん》まいるまい。ありようは、五条の道祖神《さえのかみ》でござる。」 「その道祖神が、何としてこれへ見えた。」 「御経....
富士」より 著者:岡本かの子
うことなしに或は争い或は親しんだ。 ここに山を愛し、山に冥通するがゆえに、山の祖神《おやのかみ》と呼ばるる翁《おきな》があった。西国に住んでいた。 平地に突....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
と思い給うべからず。わけてお側近く奉公したまう人々は、天照大神の冥加にかない、先祖神霊の御恵みに預かりたまう身なれば、いよいよ敬いかしずき奉る心、しばらくも忘れ....
河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
秋の暮だと、一里塚で消えちまいます、五月の陽炎を乗って行きます。 お婆さんが道祖神の化身なら、この子供には、こんがら童子の憑移ったように、路も馬も渉取り、正午....
「日本民族」とは何ぞや」より 著者:喜田貞吉
り、我が国土に祭らるる秦・漢・百済等の諸蕃神も、ことごとく我ら「日本民族」共同の祖神として尊崇すべく、我が国史上に現われたる偉人傑士は、ことごとく我ら「日本民族....
くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
を知らぬ。けだし里から離れて川上に住み、自然農民とは生活状態を異にして、クグツの祖神と仰がれたものではなかろうか。久求都彦・久求都媛の住地が久求小野であってみれ....
周防石城山神籠石探検記」より 著者:喜田貞吉
でている石城山上のこの遺蹟はすなわち国造祖先の神奈備で、石城神社はすなわち国造の祖神天津彦根神を祀ったものと解すべきが至当であろう。既に故栗田博士もその神祇志料....
憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
るところによれば、所謂オオミタカラなる里人といえども、その大部分はやはり国津神を祖神と仰ぐべき先住民の子孫である。ただ彼らは早く農民となって国家の籍帳に登録せら....
手長と足長」より 著者:喜田貞吉
書いた幟の幾本も立っているのを見た事がある。これを祭る人の心では、お稲荷様とか道祖神とかを祭ると同じ様に、幸福を祈る外に深い意味はないのであろうが、これを手長と....
オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
の他|竈の神を祭る荒神棚に、木製の陽物を供える習慣の地方の多かったのも、これを道祖神の信仰と混同した結果であろうと思われる。 傍例すでにかくのごときもので、オ....
欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
灯ありて、その前を通過するもの一拝して去り、あたかもわが国の路傍にある地蔵尊、道祖神のごとし。 ウィーンよりダニューブ河に至るの道、八畳敷きくらいの一小屋あり....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
ち、一人はその尻尾を持つといえば、これは普通の獅子舞らしい。 サイドウという道祖神の祭は、毎年正月十五日に、深い積雪の上で行われる。町が二つに分れて、血気の若....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
名になっておりますが、やはり西の宮を元祖とし、西の宮の夷神社の末社なる、百太夫を祖神と仰いでおります。そしてこれは、西の宮から起ったというよりも、淡路に於ける同....
「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
る輩は、常にその穢を繰り返している事であるから、特に触穢をやかましく云った賀茂御祖神社では、その付近に屠者の住むを禁じたとの事もあったけれども、それも単に御祖神....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
崎とか、蟹島とかいう所に根拠を構えていたとある。この浮浪民たる傀儡子や遊女は、道祖神を祭って福助を祈る習慣を持っておった。各自その像を帯して、その数百千に及ぶが....