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神田川
「神田川〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
神田川の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「幻談」より 著者:幸田露伴
話でした。 そこでこの人、暇具合《ひまぐあい》さえ良ければ釣に出ておりました。
神田川《かんだがわ》の方に船宿《ふなやど》があって、日取《ひど》り即ち約束の日に....
「両国の秋」より 著者:岡本綺堂
林之助は力をつけるように言い聞かせた。向柳原へ帰る彼は、堤の中途から横に切れて、
神田川を渡らなければならなかった。 「わたしはあっちへいくんだから、ここでお別れ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
切りくずされたのは明治七、八年の頃だと思います。今でも柳原河岸の名は残っていて、
神田川の岸には型ばかりの柳が植えてあるようですが、江戸時代には筋違橋《すじかいば....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
には可なりの時間を費した。江戸市中の地理に明るくない彼は、正直に両国橋を渡って、
神田川に沿って飯田橋に出て、更に江戸川の堤《どて》に沿うて大曲《おおまがり》から....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
屋の安の野郎の二代目だ。親分は覚えがいいな」 今から七、八年以前のことである。
神田川の河岸《かし》にある石屋のせがれ安太郎が、友達五、六人と清元の師匠の家に寄....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ら落ちて来る水が両方の岸へ溢れ出しますから、堰は低く出来ていて、水はそれを越して
神田川へ落ち込むようになっているが、なにしろあれだけの長い川が一旦ここで堰かれて....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
しかった。かた手に数珠をかけている七兵衛は小田原提灯を双子の羽織の下にかくして、
神田川に沿うて堤の縁をたどってゆくと、枯れ柳の痩せた蔭から一人の女が幽霊のように....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
は半七に催促されるのが苦しいので、築地河岸の船頭はいうまでもなく、芝浦から柳橋、
神田川あたりの船宿をまわって、絶えず何かの手がかりを見つけ出そうと焦っているうち....
「河明り」より 著者:岡本かの子
へかけて昔から流れ込んでいた川は、こちらの西側ばかりを上流から申しますと、忍川、
神田川、それから古川、これ三本だけでございました」 私は両国橋際で隅田川に入り....
「売色鴨南蛮」より 著者:泉鏡花
、色の濃く、力の強いほど、五月雨か何ぞのような雨の灰汁に包まれては、景色も人も、
神田川の小舟さえ、皆黒い中に、紅梅とも、緋桃とも言うまい、横しぶきに、血の滴るご....
「木の子説法」より 著者:泉鏡花
が積んであるんです。何ですか、明神様の森の空が、雲で真暗なようでした。 鰻屋の
神田川――今にもその頃にも、まるで知己はありませんが、あすこの前を向うへ抜けて、....
「前記天満焼」より 著者:国枝史郎
の俺を尾行ているらしい。間違いはない、間違いはない」 そこでまた南へ横切った。
神田川河岸へ出たのである。それを渡ると両国である。 「よし」と鉄之進は呟いた。 ....
「娘煙術師」より 著者:国枝史郎
…。
で、この辺は町家町であった。しかもいうところの片側町であった。反対の側は
神田川で、今、銀鱗を立てながら、大川のほうへ流れている。下流に橋が見えていたがそ....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
グウグウ鳴って来たが、なかなかそこらの牛肉屋へ入ろうといわない。とうとう明神下の
神田川まで草臥れ足を引摺って来たのが九時過ぎで、二階へ通って例の通りに待たされる....
「春の大方山」より 著者:木暮理太郎
。御手洗は瑞牆の外で東の方に在る。清い水が滾々と湧き出して大きな池を湛え、溢れて
神田川となり、末は潤川に注いでいる。水面からは霧が白く立ち昇って、掩いかかる常緑....