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「神護寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

神護寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
狂乱」より 著者:近松秋江
の群衆は、京から三里も離れた山の中でも雑沓していた。私は、高い石磴を登って清洒な神護寺の境内に上って行き、そこの掛け茶屋に入って食事をしたりしてしばらく休息をし....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
た。 いよ/\高尾に来た。車を下りて、車夫に母を負うてもらい、白雲橋を渡って、神護寺内の見晴らしに上った。紅葉はまだ五六分と云う処である。かけ茶屋の一に上って....
四十八人目」より 著者:森田草平
浅野家|菩提所華岳寺の住職|恵光、同新浜正福寺の住職良雪、自家の菩提所|周世村の神護寺住職三人に宛てたもので、自分が江戸へ下ってからの一党の情況を報じて、いよい....
回想録」より 著者:高村光太郎
になった結果だと思う。 平安朝では皆の感心するようなものは矢張私もいいと思う。神護寺の薬師は全くいい。特殊なもので、ああいうものはあれだけぽっつり在るのだけれ....
美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
こさは世界の美の源泉中に類が無い。そして又この美は世界に一つの新らしい美を開く。神護寺金堂の薬師如来 日本美術の精華を語るに当って、其例を天平期の諸仏像にとる....
周防石城山神籠石探検記」より 著者:喜田貞吉
に挿入しておいた通りで、すなわち山上には延喜式内に列せられた石城神社があり、別当神護寺がその西南に並び、所謂山姥ノ穴は、山の北面に二つ、南面に一つ、東面に一つを....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
すぐれていて親しかったが、隆信は歌よりも絵には一層すぐれていた。国宝になっている神護寺蔵の重盛と頼朝との画像は隆信の筆といわれて、すでに知っておられる諸君も多い....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
分かっているが、那智修行から、そのほか遊歴中の事蹟は、不明である。しかしやがて、神護寺再興の発願のことから院庭で乱暴を働き、伊豆へ流されてから以後は、また忽然と....