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祠官
「祠官〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
祠官の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
文雄の歌である。 信長等が予想して居た通りに義元、頻々たる勝報に心喜んで附近の
祠官、僧侶がお祝の酒|肴を取そろえて来たのに気をよくして酒宴をもよおして居た。 ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
攘の運動は事実においてすでにその中心の人物を失っている。のみならず、筑後水天宮の
祠官の家に生まれ、京都学習院の徴士にまで補せられ、堂々たる朝臣の列にあった真木和....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
※にあらず、ハワイやタヒチ等の浜辺に鮫を祭る社あって毎度鮫来り餌を受け甚だしきは
祠官を負うて二十|浬《かいり》も游ぎし事エリスの『多島海研究《ポリネシアン・レサ....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
力である。艮斎、名は重信、修して信という。通称は祐助である。奥州|郡山の八幡宮の
祠官安藤筑前親重の子で、寛政二年に生れたらしい。十六歳の時、近村の里正今泉氏の壻....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
供え、樟脳《しょうのう》に点火して薫《くゆ》らせ廻り、香を焼《た》き飯餅を奉る、
祠官神前に供えた椰子を砕き一、二片を信徒に与う。村の入口に祀るは、この神、諸難の....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
讎《あだうち》がてら蛇を食いおわるを、側に在合《いあわ》せた黒人が制し得なんだ。
祠官|蜂起《ほうき》して王に訴え、国中の豕を全滅せよと請うたのでその通りの勅令が....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
の由来はすこぶる古いもので、すでに津軽浪岡家の永禄日記十年の条に、同地岩木神社の
祠官阿部氏が、やはり同様の系図を持っていた趣きに見えております。しかも一方に同じ....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
荷神をも氏の神として深草に祭る。ともに前からその地方を領した神で、秦氏は代々その
祠官となっていた。古くからその地に鎮座した賀茂の上下の社のごときも、初めはやはり....
「穀神としての牛に関する民俗」より 著者:中山太郎
春季祭に牛乗式が行われるが、この牛は昔から飛騨より借りて来る。王鼻の仮面をつけた
祠官が青竹の弓に白紙の羽の矢を番えて牛に乗り、天下泰平、五穀成就と三唱して放ち、....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
いる服装なのだ。 深沢君に伴われて、駅前のある会社の事務所で少憩、金沢八幡社の
祠官三浦憲郎君とともに、飯詰村中島の江畑新之助君の邸に案内せられて、この夜は同家....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
たとも言われ、先祖の鬼がいたという鬼の洞が今もある。同じ京都の北の貴布禰神社の旧
祠官|舌氏も、鬼の子孫だと言われていた。大和の宇智郡地方には、鬼筋という家柄もあ....