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禁令
「禁令〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
禁令の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
かりと縮み上がって、自今村正作の打ち物類は見つかりしだい取り捨てるべし、というご
禁令をお納戸方《なんどがた》に向かって発したものでしたから、それがいつしか村正の....
「街頭から見た新東京の裏面」より 著者:杉山萠円
するものはまだいくらでもある。 第一は徳川幕府が幾度も幾度も出した産児制限法の
禁令である。これはおしまいまで無効に了《おわ》ったと認められているが、一面、この....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
昔ながらにさえずりながら、それに耳を傾ける風流人が遠ざかってしまった。後にはその
禁令も次第にゆるんで、江戸末期には再び昔の根岸のすがたを見るようになったが、それ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
とは遠い昔から禁じられている。鎌倉時代、足利時代、降って徳川時代に至っては、その
禁令がいよいよ厳重になって、ひそかに鷹を飼うものは死罪、それを訴人したものには銀....
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
命を捨てました。兄弟としては、必ず本望であったでござりましょう。たとい朝廷から御
禁令があっても、私はやります。きっとやります。命が惜しいのは敵を討つまでで、敵を....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
くより之を信じて居た。天正十八年末、徳川幕府は全国に亙って切利支丹、法度たるべき
禁令を布いた。これより宗門の徒の迫害を受けること甚だしく、幾多の殉教哀史をとどめ....
「死者の書」より 著者:折口信夫
。そうして、染め上りも、艶々しく、はでなものになって来た。表向きは、こうした色の
禁令が、次第に行きわたって来たけれど、家の女部屋までは、官の目も届くはずはなかっ....
「肝臓先生」より 著者:坂口安吾
終戦後二年目の八月十五日のことであるが、伊豆の伊東温泉に三浦按針祭というものが行われて、当日に限って伊東市は一切の
禁令を解除し、旅館や飲食店はお酒をジャン/\のませてもよいし、スシでもドンブリで....
「金銭無情」より 著者:坂口安吾
死ぬんだ、どうにとなりやがれ、ゆくゆく首をくゝる計画だから、右往左往の業者ども、
禁令をどこ吹く風、お店の有り酒を傾けてゐると、絶えて客足のなかつたタヌキ屋に六・....
「水鳥亭」より 著者:坂口安吾
かった。 克子の教育費は、亮作を含めた生計費に用いることを禁ぜられ、信子もその
禁令を堅く守っていたが、戦争がはげしくなり克子への食糧が大伯母から届けられるよう....
「二都物語」より 著者:佐々木直次郎
たここ何年間もあのように面白からぬ形勢になってお出でではなかったならば、一枚の拘
禁令状★で私はどこかの城牢へ無期限に送り込まれていたろう、と私は信じているのです....
「フランケンシュタイン」より 著者:シェリーメアリー・ウォルストンクラフト
くびっくりしたが、私は何を聞かれても返事をせず、ほとんど口をきかなかった。私は、
禁令のもとに置かれているような――みんなの同情を受ける権利がないような――もうみ....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
うこうという、切支丹という宗教の内容に重点のある禁圧ではなかったであろう。秀吉の
禁令の理由が日本は神国であるというような、多少は外国を異端視した国粋思想からの反....
「牛捨場馬捨場」より 著者:喜田貞吉
は食用以外に人間の用を為さぬものであるから、右の制令にも漏れたものであった。右の
禁令あって後にも、なお牛を殺して漢神を祭るの習慣は各地にあって、平安朝になっても....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
・岡引、必ずしも前科者とのみは限らぬが、ともかく筋のよくないものであった。「徳川
禁令考」二十八に、 平人にても科人にても、悪者一人差止め、岡引と名付け、手引致さ....