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禅室
「禅室〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
禅室の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「出家とその弟子」より 著者:倉田百三
ましょうねえ。 慈円 それは深く愛し合っていられましたからね。お師匠様が小松谷の
禅室にお暇乞いにいらした時法然様は文机の前にすわって念仏していられました。お師匠....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
厚ぼったい葉なみを潜りぬけたり、小枝につかまってとんぼ返りをうったりする。 画
禅室随筆の著者董其昌は、茶を論じてこういったことがあった。 「茶は眼にとっては色....
「加波山」より 著者:服部之総
に、頗《すこぶ》る奇特のおもひあり。仍《よっ》て聖人に謁せんと思ふこころつきて、
禅室に行て尋申すに、上人|左右《そう》なくいであひたまひけり。すなはち尊顔にむか....
「法然行伝」より 著者:中里介山
くならせ給え候べし」 上野国の御家人、大胡《おおご》小四郎隆義は在京の時吉水の
禅室に参じて法然の教えをうけて念仏の信者となったが、国へ下ってから不審のことは法....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
御不音をつづけておる。……そうそう、幸村どのを初めてお見かけ申したのは愚堂和尚の
禅室でござったな。お父上昌幸どのに侍かれて。――てまえは妙心寺地内の春浦院を建立....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、草寺だった。 むかし北条長時が何かの忌縁に建てたものだという。いかにも侘びた
禅室ですぐ裏の泉谷山には朝夕|鴉ばかり啼いていた。それに時は十一月。枯木寒鴉図そ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
大衆にもよびかけ、連日の三塔会議でさけんでいた。 「仏法の紊れは、国法の紊れ。一
禅室の売仏者、夢窓ごとき者に、古来からの王法仏法を、思うままにさせてなろうか」 ....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
妻の小宰相にわたし、彼が生前の頼みを果してやったという話もある。――また、上人の
禅室に、嬉々として這いまわっている嬰児があるので、或る人が、何人の子におわすかと....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
。――いつか、私たちは高い石段をのぼり切ッて、大きな枝垂れ桜を前にした安国寺の一
禅室へ入っていた。――すでに沢山な古文書の類が、部屋いっぱい、展列されてあった。....