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禅家
「禅家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
禅家の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「虞美人草」より 著者:夏目漱石
》家へ乗り込んで来る。謎の女のいる所には波が山となり炭団《たどん》が水晶と光る。
禅家では柳は緑花は紅《くれない》と云う。あるいは雀はちゅちゅで烏《からす》はかあ....
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
時の光景を椽側《えんがわ》から拝見して無言劇と云うものは優に成立し得ると思った。
禅家《ぜんけ》で無言の問答をやるのが以心伝心であるなら、この無言の芝居も明かに以....
「錯覚した小宇宙」より 著者:辻潤
一個の「小宇宙《ミクロコスモス》」であるという思想は別段珍らしい考え方ではない。
禅家では芥子粒の中に須弥山さえ入っている。これは比喩だが、電子の中にひょっとした....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
いい、その衣服をもって区別するのである。黄教は道徳を講じ、因果を明らかにし、かの
禅家と派を異にして源を同じゅうするものである。 但し紅教は幻術を巧みにするもの....
「死生」より 著者:幸徳秋水
し、巨万の富を擁して、其衣食住は殆ど完全の域に達して居る人々でも、又た彼の律僧や
禅家などの如く、其の養生の為めには常人の堪ゆる能わざる克己・禁欲・苦行・努力の生....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
屋の先祖たちから受けた恩顧は忘れられないと言って、和尚は和尚だけの回向をささげに
禅家風な茶色の袈裟がけなどで来ているところは、いかにもその人らしい。当日の主人側....
「高浜虚子著『鶏頭』序」より 著者:夏目漱石
説を評して余裕があると云った。虚子の小説に余裕があるのは果《はた》して前条の如く
禅家の悟を開いた為かどうだか分らない。只《ただ》世間ではよく俳味禅味と並べて云う....
「半島一奇抄」より 著者:泉鏡花
ろしい。しかし、贅沢といえば、まことに蘭飯と称して、蘭の花をたき込んだ飯がある、
禅家の鳳膸、これは、不老の薬と申しても可い。――御主人――これなら無事でしょう。....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
しみ渡って、渇する者に水とか湯とかいう本文通り、一口の湯が全身心に反応しました。
禅家で点心《てんじん》というが、一片の食を投じて、霊肉の腐乱《ふらん》を済《すく....
「死刑の前」より 著者:幸徳秋水
の富を擁して、その衣食住はほとんど完全の域に達している人びとでも、またかの律僧や
禅家などのごとく、その養生のためには常人の堪えるあたわざる克己・禁欲・苦行・努力....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
身をやつしたのでありますが、それではいけないことをさとりました」 「無声の声は、
禅家《ぜんけ》のいわゆる隻手《せきしゅ》の音声《おんじょう》といったようなもので....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
、いってはみたが、花袋は「会えぬ」といい張ってあとへは退かない。そんなところにも
禅家の老和尚というような格がある。鶴見はそう思って花袋の顔を見あげた。「妓に与ふ....
「学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
なり」と言えり。人の見識品行は、微妙なる理を談ずるのみにて高尚なるべきにあらず。
禅家に悟道などの事ありて、その理すこぶる玄妙なる由なれども、その僧侶の所業を見れ....
「妖怪学」より 著者:井上円了
、病死の懸念するに足らざるを究め明らかにして、精神の妨害を絶つをいう。すなわち、
禅家の療法これなり。つぎに他観法とは、他の事物を観察して、病念、鬱患を解散するの....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
、日蓮聖人は籠の中の鳥が、空飛ぶ鳥の鳴声を聞いて呼び交わそうとしている趣に譬え、
禅家の方では卵の中で、いま孵ったばかりの小雛が外へ向って呼ぶ声と、外の母鶏が卵の....