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「禅尼〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

禅尼の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
新釈諸国噺」より 著者:太宰治
倹約を率先|躬行していたわけなのである。主人の時頼というひともまた、その母の松下禅尼から障子の切り張りを教えられて育っただけの事はあって、酒のさかなは味噌ときめ....
十二支考」より 著者:南方熊楠
にこの頃の人はかくのごとくに金銀を以て形造の物ありしかと。元魏の朝に、南天竺|優禅尼《うぜんに》国の王子月婆首那が訳出した『僧伽※《そうがた》経』三に、人あり、....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
」 婆さんが言葉をかけたので、われに返って見ると、 「伝通院殿 蓉誉智光 大禅尼 慶長七年一月二十九日」 伝通院殿は無事であります。その展墓《てんぼ》....
日記」より 著者:宮本百合子
らいよいよ本式に化学と国語を見た。国語の柴田鳩翁の「道話一則」をよみ次の次の松下禅尼までよんでみた。「東遊記」(橘南谿)のは今度図書館に行った時によんで見ようと....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
その母なる者も存生であったらしい。永正元年八十三歳まで勤続して落髪し、法名を光智禅尼といった。その後五年にして老病のため永正六年に歿したが、実隆はこの侍女の三十....
法然行伝」より 著者:中里介山
た。この廟所についても多くの奇瑞が伝えられている。この地の北の庵室に寄宿している禅尼、地主、その隣家の清信女だとか、清水寺の住僧別当入道惟方卿の娘粟田口禅尼とい....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、最明寺時頼ノ母スラ、自ラ破レ障子ヲ繕ウテ、勤倹ノ教ヘヲ垂レタリト聞クソノ松下ノ禅尼ノ子孫高時、今ハ数十人ノ妾ヲ蓄へ、妾ニハ領地ヲ分カチ、白拍子、猿楽、田楽俳優....
私本太平記」より 著者:吉川英治
りおこない、さらに、源家重代の白旗をとり出させて、 「これは頼朝公の後室、二位ノ禅尼(政子)からわが家に伝わるものだが、出陣のはなむけに、其許へとらせる。この旗....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
忠正は、新院方へ味方。清盛は、二男基盛をさし出して、まず宣旨にこたえ、義母の池ノ禅尼の意見、四囲の実状、一族の和など、見さだめて後、義朝よりおくれて、内裏方へ参....
木綿以前の事」より 著者:柳田国男
ものである。もうそんな生活改善もあるまいとは思うが、稀にはまだややこれに近い松下禅尼式、ないしは青砥藤綱式ともいうべき心掛が賞讃せられるために、道は行われず、社....