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禅林
「禅林〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
禅林の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
る一活動勢力に作りあげた。馬祖の弟子百丈(七一九―八一四)は禅宗|叢林を開創し、
禅林清規を制定した。馬祖の時代以後の禅宗の問答を見ると、揚子江岸精神の影響をこう....
「花吹雪」より 著者:太宰治
、生れてはじめて、胸の焼け焦げる程うらやましく思った。うなだれて、そのすぐ近くの
禅林寺に行ってみる。この寺の裏には、森鴎外の墓がある。どういうわけで、鴎外の墓が....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
に「寄人は今ぞ寄せ来る長浜や、葦毛の駒に手綱ゆりかけ」てふ歌あり、支那人も本邦の
禅林でも紙馬を焼き、インドのビル人は山頂の石塚に馬の小土偶を献ずれば、死者の霊そ....
「決戦川中島 上杉謙信の巻」より 著者:坂口安吾
まる音をきいたが、余はそれに無関心であった。余はこのたびの出陣に当り、余が修学の
禅林の池底に秘かに埋蔵して出発すべき秘密の誓文の文案をねっていたのである。それは....
「巷説享保図絵」より 著者:林不忘
。小石川の上水端に金剛寺というお寺がございます」
「うむ。曹洞派《そうとうは》の
禅林である。聞こえた名刹《めいさつ》だな」
「へえ。その金剛寺の裏手でございます....
「山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
端と、金色の三尊の後に当る空と、漣とを想像せしめる背景は、実はそうではなかった。
禅林寺のは、製作動機から見れば、稍後出を思わせる発展がある。併し画風から見て、金....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
立たない頃に墓参に行きましたが、まだ道順もよく分らず、吉祥寺で省線を降りてから、
禅林寺まで行く道の細い流の中で障子をせっせと洗っているのを、秋も深くなったと思い....
「法然行伝」より 著者:中里介山
め前非を懺悔し、念仏の行怠りなく、建保四年|閏《うるう》六月二十日に七十二の年で
禅林寺のほとりに往生を遂げられた。 栂尾《とがのお》の明恵上人《みょうえしょう....
「民芸とは何か」より 著者:柳宗悦
枯死する今の茶道と、心において何の連絡があるでしょう。もし茶祖が今甦ったら、あの
禅林で説かれる「婆子焼庵」の物語りのように、早速茶室に火を放って茶人達を外に追い....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
の様な妙な形の中門で、右の方はお台所から庫裏に繋っており、正面は本堂で、曹洞派の
禅林で、安国山総寧寺と云っては名高い禅寺でございます。 百姓「玄堂さん/\、此間....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
雪舟も、周文も、赤脚子も啓書記も、玉※も、みな画師ではなく、禅僧だった。当時、
禅林のうちには、詩画をたのしむ者が多く、およそ禅僧であって詩も絵も解さないという....