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「福地源一郎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

福地源一郎の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
引っ込んで文筆に従事するなどは実に羨《うらやま》しいことのように考えられている。福地源一郎君が不忍《しのばず》の池のほとりに別荘を建てて日蓮上人の脚本を書いてい....
食魔」より 著者:岡本かの子
明治初期に文明開化の評論家であり、後に九代目団十郎のための劇作家となった桜痴居士福地源一郎の生活態度を聞知っていた。この旗本出で江戸っ子の作者は、極貧の中に在っ....
田原坂合戦」より 著者:菊池寛
血戦の幕が、切って落されたのは間も無くである。 当時東京日日の新聞社長であった福地源一郎氏が、従軍記者として、田原坂戦闘の模様を通信して居るのがある。その中に....
近時政論考」より 著者:陸羯南
こにおいて民権論派は隠然三種に分かるるの姿を現わせり、しかして当時有名の新聞記者福地源一郎氏は隠然政府弁護者となりて暗に民権論の反対に立ち、自ら漸新主義の政論者....
法窓夜話」より 著者:穂積陳重
「公法会通」と題した。 明治二年出版の「外国交際公法」という書があるが、これは福地源一郎氏がマルテンスの「外交案内」(R. Martens, Diplomat....
」より 著者:森鴎外
見た中で、末造の気に入った店が二軒あった。一つは同じ池の端で、自分の住まっている福地源一郎の邸宅の隣と、その頃名高かった蕎麦屋の蓮玉庵との真ん中位の処で、池の西....
日記」より 著者:宮本百合子
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明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
し、四代目尾上松助と改名す。 ○八月二十五日、北海道官有物払い下げ問題について、福地源一郎、沼間守一らが、新富座において、政談演説会をひらく。劇場を演説会場に使....