福本[語句情報] »
福本
「福本〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
福本の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「虚構の春」より 著者:太宰治
あさり、ペン一本の生活もしました。小説も書いたようです。大町|桂月《けいげつ》、
福本日南等と交友あり、桂月を罵《ののし》って、仙をてらう、と云いつつ、おのれも某....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
及ばぬと論じた。この事については熊楠いまだ公けにせぬ年来の大議論があって、かつて
福本日南に大英博物館《ブリチシュ・ミュジユム》で諸標品について長々しく説教し、日....
「党生活者」より 著者:小林多喜二
と云っても、この二三日なんだか、少しジレ/\してるんだ。今迄色々な遣《や》り方で
福本イズムの時代のセクトを清算しながらやってきたが、まだ矢張りそれが残っている。....
「もの思う葦」より 著者:太宰治
とだ。社会的には二十円三十円のわがまま、それをさえできず、いま更なんの文学ぞや。
福本和夫、大震災、首相暗殺、そのほか滅茶滅茶のこと、数千。私は、少年期、青年期に....
「足迹」より 著者:徳田秋声
いられなくなった。ふわふわするような胸の血が軽く躍っていた。 叔父が行きつけの
福本という茶屋は、軒並びでは比較的大きくて綺麗な方であった。お庄はその少し手前の....
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
ば哲学があるかないかが、彼が転向するかしないかという品行を決定するのだ。で哲学者
福本一夫などは、恐らくこういう原因から簡単には、転向出来ないのではないかと思う。....
「大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
重子へあてて―― 一九二一年八月七日 支那上海に於て 門司を出て、お母さんや
福本さんやと別れてから、大分に船のキソクや時間のウルササになれ、手紙をかく余裕も....
「技術の哲学」より 著者:戸坂潤
技能技術上の歴史の云わば第二期最高潮期と云っていい(この時期の徴候としては例えば
福本主義などを挙げることが出来るだろう)。だがこの同じ現代学生層が実は同時に、学....
「イデオロギー概論」より 著者:戸坂潤
体誰が主人であるのか。歴史に於ける理論・意識・インテリゲンチャの過重評価――所謂
福本主義はルカーチの後裔である――はここに淵源している。 ルカーチによる階級意....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
そうだ。 三木は三年程して帰って来た。パスカリザンとして帰朝した彼であったが、
福本和夫の台頭を見て忽ち一種の野心を起こしたらしい。俺でも
福本位いなことは出来る....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
のと、殺伐な空気であったと見える。政談演説会や討論会もよく開かれた。ある折両国の
福本という講談席亭で、講談師なのか壮士なのか、あるいは弁士なのか、またはそれらの....
「科学的精神とは何か」より 著者:戸坂潤
初めに引用というものに就いて述べる必要があると思う。引用の天才はかつての
福本和夫氏であった。彼の論争文はその文章の殆んど五割に及ぶ内容が、論敵からの引用....
「読書遍歴」より 著者:三木清
会での演説の準備という意味もあって、義士伝はその時分ずいぶんいろいろ読み漁った。
福本日南の『元禄快挙録』なども感激して読んだものであるが、今は岩波文庫の中に収め....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
も昭和十六年(1941)に八十歳で満州へ行った時、五月にこれを大連市壱岐町三番地
福本順三郎君(大連税関長)の邸で味ってみたが、あまり美味しいものではなかった。楡....
「申訳」より 著者:永井荷風
楊弓場のあったことを知っているかと問うて見たが、お民は知らないと答えた。広小路に
福本亭という講釈場のあった事や、浅草橋手前に以呂波という牛肉屋のあった事などもき....