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福沢諭吉
「福沢諭吉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
福沢諭吉の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「近時政論考」より 著者:陸羯南
とし。当時この二論派を代表したるははたして何人なりしか。吾輩は今日より回想するに
福沢諭吉氏は一方の巨擘にして国富論派を代表したるや疑うべからず。同氏はもと政治論....
「千曲川のスケッチ」より 著者:島崎藤村
いう形だ。 御蔭で私もここへ来てから種々な先生方の話を拝聴することが出来た。故
福沢諭吉氏も一度ここを通られて、何か土産話を置いて行かれたとか。その事は私は後で....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
して行ったかしれないなぞといううわさがそのあとに残った。当時二十六、七歳の青年|
福沢諭吉が木村摂津守のお供という格で、その最初の航海に上って行ったといううわさな....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
ヨーロッパ人の中に生まれた自由の理も喧伝せられ、民約論のたぐいまで紹介せられて、
福沢諭吉、板垣退助、植木|枝盛、馬場|辰猪、中江|篤介らの人たちが思い思いに、あ....
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
教育は元来常に社会教育なのだが)が官僚的社会政策として発生発達したものであって、
福沢諭吉等の例を除けば、殆んど例外なしに官製の欽定教育(?)だったと言っていいだ....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
とが判るだろう。田口鼎軒は驚くべき経済学者であり歴史家であった。併し之に対して、
福沢諭吉が結局啓蒙家に過ぎなかったからと云って、その文化史上の意義を軽んじること....
「亡び行く江戸趣味」より 著者:淡島寒月
という気持で、江戸のみに限られていない。私の若い時代は江戸趣味どころか、かえって
福沢諭吉先生の開明的な思想に鞭撻されて欧化に憧れ、非常な勢いで西洋を模倣し、家の....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
くはコンパニーなんぞをやって外国風を用いなくちゃアいけねえなんぞとワケも分らずに
福沢諭吉先生なんぞを尊敬したアゲクが倅に貧乏男爵の娘をヨメにもらってやった。 ....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
には、普通の商人とはすこしく異なったところがあったかも知れません。明治のはじめ、
福沢諭吉翁が唱えていた「独立自尊」という言葉ですが、私はだいたいあの気持で商売を....
「瘠我慢の説」より 著者:榎本武揚
別而多忙に付いずれ其中愚見可申述候。先は不取敢回音如此に候也。 二月五日武揚
福沢諭吉様....
「瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
或は予が特に嗜好するところの数種を添えて※られたり。またその時予が妻に向て、今日
福沢諭吉は大丸ほどの身代に成りたれば、いつにても予が宅に来て数日|逗留し、意を慰....
「明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
林次郎などという人々も哲学思想の興隆には少なからざる関係があったのである。その他
福沢諭吉とか中村正直(敬宇と号す)とかいうような人々もけっして無関係とはいわれな....
「ハイカラ考」より 著者:木村荘八
い、世相あまねき欧化の一つ一つの事項のいずれも看過できないこと、申すまでもなく、
福沢諭吉先生は、明治早々にしてすでに国音の「ウ」へいきなり濁点を打って、「ヴ」と....
「福沢諭吉」より 著者:高山毅
あたえた人。 上野の戦争のとき、砲声をききながら、 へいぜんと講義をつづけた人。
福沢諭吉は、ながい封建制度にならされた人々を 目ざめさせるのは、学問しかないと、....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
力とそう違いはない程度のものです。判らないからこそ、信念によってそれを迎えます。
福沢諭吉という方は、維新後の日本に物質文明の必要なることを痛感せられ、極力その智....