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「秀才〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

秀才の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
玄鶴山房」より 著者:芥川竜之介
もなった或政治家の次男だった。が、豪傑肌の父親よりも昔の女流歌人だった母親に近い秀才だった。それは又彼の人懐《ひとなつ》こい目や細っそりした顋《あご》にも明らか....
文放古」より 著者:芥川竜之介
しょう。あのカフェの女給《じょきゅう》か何かと大学の中を歩いていた、――あいつも秀才で通《とお》っているのよ。好《い》い加減《かげん》人を莫迦《ばか》にしている....
邪宗門」より 著者:芥川竜之介
たてえぼし》があったと云う噂も、聞き及んだ事がございました。 いや、現に一時は秀才の名が高かった菅原雅平《すがわらまさひら》とか仰有る方も、この御姫様に恋をな....
黒衣聖母」より 著者:芥川竜之介
に、我知らず怪しい声を出した。田代君は私より一二年|前《ぜん》に大学を卒業した、秀才の聞えの高い法学士である。且《かつ》また私の知っている限り、所謂《いわゆる》....
毛利先生」より 著者:芥川竜之介
を掻きながら、意気地《いくじ》なくひっこんでしまった。が、今度は自分の級の英語の秀才が、度の強い近眼鏡をかけ直すと、年に似合わずませた調子で、 「でも先生、僕た....
星座」より 著者:有島武郎
っかく今までの交際にひびが入ってかえっておもしろくないから、子息さんがそれほどの秀才なら、卒業の上採用されるという条件で話しこんだら、会社とか銀行とかが喜んで学....
追憶」より 著者:芥川竜之介
英次郎一人だった。西川は今は鳥取の農林学校か何かの教授をしている。僕はそののちも秀才と呼ばれる何人かの人々に接してきた。が、僕を驚かせた最初の秀才は西川だった。....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
とを覚えてしまったのです。人間はそんなに違うものではありません。皆さんの中にも、秀才秀才でない人がありましょう。けれども大した違いではありません。ナポレオンの....
薄紅梅」より 著者:泉鏡花
ある。よってもって、自から称した、すなわちこれ、自劣亭思案外史である。大学中途の秀才にして、のぼせを下げる三分刈の巨頭は、入道の名に謳われ、かつは、硯友社の彦左....
怨霊借用」より 著者:泉鏡花
肩を揉ませながら、快活に笑ったのは、川崎|欣七郎、お桂ちゃんの夫で、高等商業出の秀才で、銀行員のいい処、年は四十だが若々しい、年齢にちと相違はあるが、この縁組に....
阿Q正伝」より 著者:井上紅梅
いたようであったが、それも二日目にはあいまいになった。 それは趙|太爺の息子が秀才になった時の事であった。阿Qはちょうど二碗の黄酒を飲み干して足踏み手振りして....
孔乙己」より 著者:井上紅梅
付で、その人を眺めていると、彼等はすぐに言葉を添えた。 「お前はどうして半人前の秀才にもなれないのだろう」 この言葉は孔乙己にとっては大禁物で、たちまち不安に....
恒藤恭氏」より 著者:芥川竜之介
人並みに寝坊をし、人並みに夜更かしをし、凡庸に日を送るを常としたり。 恒藤は又秀才なりき。格別勉強するとも見えざれども、成績は常に首席なる上、仏蘭西語だの羅甸....
三枚続」より 著者:泉鏡花
う、仰向いて眼を塞ぐのが、因習の久しき、終に性質となったのである。もっとも有数の秀才で、およそ年紀二十ばかりの時から弟子を取立てた。十年一日のごとく、敬すべき尊....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
たのは喜劇中の喜劇だった。しかしこの大島敏夫も――花や歌を愛していた江東小学校の秀才も二十前後に故人になっている…… 国技館の隣に回向院のあることは大抵誰でも....