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「私塾〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

私塾の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
酒中日記」より 著者:国木田独歩
一人となって、二十人あるなしの小供を対手《あいて》に、やはり例の教員、然し今度は私塾なり、アイウエオを教えているという事は御存知あるまい。無いのが当然で、かく申....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
をするのが例でした。 寺小屋がそうです。 書道指南所がそうです。 それから私塾《しじゅく》。 およそ、文字と筆にかかわりのあるところは、それぞれ菅公の徳....
婦系図」より 著者:泉鏡花
部|郡であるのだから語呂が合い過ぎるけれども、これは独語学者早瀬主税氏が、ここに私塾を開いて、朝からその声の絶間のない処から、学生が戯にしか名づけたのが、一般に....
自叙伝」より 著者:大杉栄
った。 高等小学校にはいってからは、学校のほかにも、英語や数学や漢文を教わりに私塾に通った。英語は前にいた片田町の家の隣りの速見という先生に就いた。どんな学歴....
食魔」より 著者:岡本かの子
されてもこれが却って身過ぎの便りとなり、下町の娘たちを引受けて嫁入り前の躾をする私塾を開いていた。伯母も身うちには薄倖の女で、良人には早く死に訣れ、四人ほどの子....
近時政論考」より 著者:陸羯南
派および法学論派 泰西学問のようやく盛んならんとするや、東京に二、三の強大なる私塾ありき。そのもっともいちじるしきものは今なお存するところの慶応義塾これなり。....
学生時代」より 著者:幸田露伴
ません、わたくしが少時の間――左様です、十六七の頃に通学した事のある漢学や数学の私塾の有様や、其の頃の雑事や、同じ学舎に通った朋友等の状態に就いてのお話でも仕て....
ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
どものときからなんとなく黙々先生がこわかった。しかしかれとして学問をするにはこの私塾より他にはない。 翌日千三は夕飯をすまして黙々先生をたずねた、そこにはもう....
黒百合」より 著者:泉鏡花
っている。若山は、昔なら浪人の手習師匠、由緒ある士がしばし世を忍ぶ生計によくある私塾を開いた。温厚|篤実、今の世には珍らしい人物で、且つ博学で、恐らく大学に業を....
河霧」より 著者:国木田独歩
を授けたが源因となり、ともかく、遊んでばかりいてはかえってよくない、少年を集めて私塾のようなものでも開いたら、自分のためにも他人のためにもなるだろうとの説が人々....
次郎物語」より 著者:下村湖人
で、こちこちの国家主義者としてその名が通っており、在官中から「興国青年塾」という私塾を腹心の教育家に経営させ、退官後は、自らその指導の中心になっている人であった....
光り合ういのち」より 著者:倉田百三
に進んだが、石畑君は貧乏なために進学出来なかった。そして町はずれにある陽明学派の私塾に通って僅かにその好学の渇望をいやしていた。 中学二年の時私はこの石畑君の....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
頃の一と癖ある漢学者高谷龍洲の家塾であって、かなり多数の書生を集めて東京の重なる私塾の一つに数えられていた。大阪朝日の旧社員の土屋大作や、今は故人となった帝劇の....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
ラサ府の法王宮殿に一つと、シカチェのタシ・ルフンプー寺にあるだけ。その他はすべて私塾のようなものであって最も広く教育の行われて居るのは僧侶学校である。 普通人....