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「秋元〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

秋元の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
安井夫人」より 著者:森鴎外
四になった年である。あとには男子に、短い運命を持った棟蔵と謙助との二人、女子に、秋元家の用人の倅《せがれ》田中鉄之助に嫁して不縁になり、ついで塩谷の媒介で、肥前....
菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
出して観せます。美作守の御勘定奉行|九津見吉左衞門を初め九里平馬、戸村九右衞門、秋元九兵衞其の他御城下に加賀から九谷焼を開店した九谷正助、菊橋九郎左衞門、年寄役....
丹下左膳」より 著者:林不忘
津谷峠にて……と、書き加えられていた。 これはいくつ目か、わからない。 一、秋元淡路守殿御壺、銘《めい》福禄寿《ふくろくじゅ》、日坂宿手前、菊川べりにて。 ....
法窓夜話」より 著者:穂積陳重
て、そのために父兄が死刑に処せられるという事態になって来た。しかるに、川越の領主秋元但馬守は、「闘訟律」には「告二祖父母父母一者絞」という本文もあるが、この場合....
鞄らしくない鞄」より 著者:海野十三
行くからといった。 それから一時間ほどして、目賀野は医師やら博士の姪《めい》の秋元千草という麗人《れいじん》や博士の助手の仙波学士を伴い、自動車で駆けつけた。....
武州喜多院」より 著者:中里介山
のであり、徳川将軍には縁故が深いし、柳沢吉保などもこの地に封ぜられたこともあり、秋元家などもここへ封ぜられた時は六万石の表高でその倍以上の実収があったと称せられ....
丹下左膳」より 著者:林不忘
に帳面方がひかえて、そろばんに現われる数字を、いちいち帳簿に記入している。 一、秋元淡路守《あきもとあわじのかみ》――三つ半、および鮮魚《せんぎょ》一|盥《たら....
文学的自叙伝」より 著者:林芙美子
から、小説のかたわら詩を書けることは、自分自身に大変勇気の出ることだと思います。秋元氏の訳された作家プウシキンのうぐいすも、大変私をシゲキしてくれます。「くらく....
血ぬられた懐刀」より 著者:国枝史郎
安の屋敷の一間の中で、廻国風の美しい娘と、北畠秋安とが話していた。 秋安の父は秋元と云い、北畠|親房の後胤として、非常に勝れた家柄であった。学者風の人物である....
豊竹呂昇」より 著者:長谷川時雨
行人は彼女の見識に煙にまかれて手を引いてしまった。 と記してある。 故子爵|秋元興朝《あきもとこうちょう》氏は、呂昇会をつくろうと同族間を奔走されたほどであ....
おせん」より 著者:邦枝完二
だが、考げえりゃ考げえるほど、このまま担いでるな、勿体ねえなァ」 駕籠はいま、秋元但馬守の練塀に沿って、蓮の花が妍を競った不忍池畔へと差掛っていた。 ....
釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
祭のお神輿《みこし》が、今日は南伝馬町の旅所から還御になろうという日の朝まだき、秋元但馬守《あきもとたじまのかみ》の下屋敷で徹宵酒肴《てっしょうしゅこう》の馳走....
雪の透く袖」より 著者:鈴木鼓村
のすぐ下に横たわる猪苗代湖に注ぐ、長瀬川の上流を、熔岩を以て閉じた為めに、ここに秋元湖檜原湖と称する、数里にわたる新らしい湖を谿谷の間に現出した、その一年後のこ....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
旧臘伺い漏らした土地のお話を、ゆっくり承る機会を得たのは嬉しい。 ホテルはもと秋元家の泰安寺の址で、その庭園は今もなお当時の林泉のままだという。秋元家は譜代の....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
日蓮安房人、屠者子の子なることには、閉口して争わなかったと云い、同書また日蓮の「秋元書」に、身延退隠の事を述べて、「木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣とし....