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「秋田城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

秋田城の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ものは、どっちを見まわしても物のすべてがうら悲しく小さく見えて仕方のないものだ。秋田城主佐竹侯が何十万石の大々名だか知らないが、その城下町やお濠や城跡をどう見廻....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
が、奈良朝のはじめには出羽国が設置せられ、引続き陸奥(今の陸前)に多賀城を置き、秋田城との連絡を保って奥羽地方の蝦夷の経営は、着々進捗して参りました。 蝦夷に....
私本太平記」より 著者:吉川英治
く、発病のため」 と称えて、勅使との対面は、これを避けた。 で、勅の告文は、秋田城ノ介が代って拝受し、一行は、ひとまず定められた宿所に入った。しかし、執権ノ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
は、続々として、ここ関東から上方へのぼっている。 九月 十四日 二階堂出羽守、秋田城ノ介、着京。 十六日 金沢貞冬、宇治ニ着。 十八日 大仏貞....
私本太平記」より 著者:吉川英治
い顔が居ながれていた。長崎|円喜、金沢ノ|大夫宗顕、佐介ノ前司宗直、小町の中務、秋田城ノ介、越後守|有時、右馬ノ頭茂時、相模の高基、刈田式部、武蔵の左近将監など....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
は、なお久しく麁蝦夷すなわち生蕃の住処として遺され、奥州の国府多賀城から、出羽の秋田城に通ずるにも、最上川に沿うていったん西に下り、飽海郡から西海岸を迂回したも....