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秋田県
「秋田県〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
秋田県の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
大きな差異があるのは、主として日本の海軍軍人の剛健な生活のためである。先日、私は
秋田県の石川理紀之助翁の遺跡を訪ねて、無限の感にうたれた。翁は十年の長い年月、草....
「支倉事件」より 著者:甲賀三郎
である。 当時彼女は十九歳だったのである。 問 どこで夫婦になったか。 答
秋田県小坂鉱山の私の実家でした。支倉が当時横浜市の聖書会社に勤め、聖書販売|旁※....
「山の湯雑記」より 著者:折口信夫
下さいと言ったところ、白布の外は肱折だなあと話された。私は、雄勝・院内を越えて、
秋田県の鷹の湯に一夜、引き還して新庄から肱折に這入って一晩を泊りに出かけても見た....
「海」より 著者:太宰治
場所である。私たちは甲府から、津軽の生家に向って出発した。三昼夜かかって、やっと
秋田県の東能代までたどりつき、そこから五能線に乗り換えて、少しほっとした。 「海....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
そして秋田犬というものは大型だけを指すものであるが、これはやや絶滅に瀕していて、
秋田県でも大館市という一地域にしか見られない。東京では日本橋のワシントンという犬....
「巡回書庫と町村図書館と」より 著者:佐野友三郎
これが設備を強いられんこと必せり。 本邦に於ける巡回書庫は、余等、さきにこれを
秋田県に試み、今日、これを本県に施設せるのみなれば、これが成績としては、徴すべき....
「老狸伝」より 著者:佐藤垢石
、越後の駒ヶ岳、八海山、牛ヶ岳などをへて入り込んできたのであるから、私は山形県や
秋田県の山々が、熊の本場であろうと考えて、一度本場の熊の肉を賞味したいと希望して....
「蜻蛉返り」より 著者:佐藤垢石
で加工したものが、一等品と称されている。二等品は、台湾海峡でとれたもの、三等品は
秋田県地先の日本海でとれたものである。からすみを作るには、加工の方法に秘訣があり....
「ザザ虫の佃煮」より 著者:佐藤垢石
と思ってきたのである。 けれど、川に棲む虫は初見参である。なかなか手が出ない。
秋田県地方の人々は、姫|柚子などよりも大きい源五郎虫を、強精剤として貪り食うとい....
「飢餓地帯を歩く」より 著者:下村千秋
何ものにも訴えずに終るのであろうか? 岩手県下に三万余人、青森県下に十五万人、
秋田県下に一万五千人、そうして北海道全道には二十五万人、総計四十五万人近くの百姓....
「奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」より 著者:喜田貞吉
したものと謂わねばならぬ。 さらにこれも前号論文の末に附記したところであるが、
秋田県由利郡及び雄勝郡において、同じく岩面に数尾の魚を条刻したものが発見されたと....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
、今の北海道にまでも、遠征の手を延ばしました。しかしこれはそのあとが続かず、今の
秋田県の北部地方以北は再び蝦夷の手に放任することに成った様ではありますが、奈良朝....
「まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
つである。 もう一つ忘れられない思い出がある。大正十三年の夏か秋だったと思う。
秋田県の阿仁合鉱山に争議が起きて、私と、今東京都議会の副議長をしている高梨君とが....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
ねて農民運動にとびこんだ。日農から平野力三は山梨県、三宅正一は新潟県、川俣清音は
秋田県というように、それぞれ分担地区を割当てられ活躍したものである。これらの諸君....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
郡長を辞してこの仙北の地に帰臥せられ、お好きの道とて郷里の故事を調査せられ、現に
秋田県史蹟調査委員となって、最近には「雄勝城址考」の謄写版刷をも寄せられたほどの....