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秦
「秦〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
秦の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神神の微笑」より 著者:芥川竜之介
だ生まれたばかりだったのです。支那の哲人たちは道のほかにも、呉《ご》の国の絹だの
秦《しん》の国の玉だの、いろいろな物を持って来ました。いや、そう云う宝よりも尊い....
「奇遇」より 著者:芥川竜之介
聴《き》きに行く事もある。博《はく》を打って暮らす事もある。あるいはまた一晩中、
秦淮《しんわい》あたりの酒家《しゅか》の卓子《たくし》に、酒を飲み明かすことなぞ....
「蜃気楼」より 著者:芥川竜之介
の支度でもしていたのか、垣越しに見える井戸端にせっせとポンプを動かしていた。僕は
秦皮樹《とねりこ》のステッキを挙げ、O君にちょっと合図をした。
「そっちから上っ....
「河口湖」より 著者:伊藤左千夫
ん、ここから見ると舟津はじつにえい景色だね!」 「ヘイ、お富士山はあれ、あっこに
秦皮の森があります。ちょうどあっこらにめいます。ヘイ。こっから東の方角でございま....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
塩野季彦、下村宏 ◯鮎川義介、郷古潔、大倉邦彦、津田信吾、石原広一郎 ◯畑俊六、
秦彦三郎、佐藤賢了、河辺正三、中村修人、西尾寿造、島田駿、後宮淳、牟田口廉也、石....
「売色鴨南蛮」より 著者:泉鏡花
たのは、大学病院の内科に勤むる、学問と、手腕を世に知らるる、最近留学して帰朝した
秦宗吉氏である。 辺幅を修めない、質素な人の、住居が芝の高輪にあるので、毎日病....
「黒百合」より 著者:泉鏡花
で、目を※って押黙る。 その時、花屋の奥で、凜として澄んで、うら悲しく、 雲横
秦嶺家何在 雪擁藍関馬不前 と、韓湘が道術をもって牡丹花の中に金字で顕したとい....
「阿Q正伝」より 著者:井上紅梅
があるが、惜しいかな大抵皆女のために壊されてしまう。商は妲己のために破壊された?
秦……公然歴史に出ていないが、女のために
秦は破壊されたといっても大して間違いはあ....
「不周山」より 著者:井上紅梅
、弟子はまたその弟子に伝えたが、後世になって一人の方士が好いことをしようとして、
秦の始皇に上奏し、
秦の始皇は方士に命じてこれを探しめた。 方士が仙山を探し当て....
「余齢初旅」より 著者:上村松園
獣をみたり、紅葉がなかなかきれいであった。 南京の街はなかなかいい町であった。
秦准、これは詩人が詩に詠んだり、画舫などもあり、夏の夜など実に美しいところであっ....
「中支遊記」より 著者:上村松園
そのなかの一人の頭に手をやると、その唐子は驚いたようにして逃げて行ってしまった。
秦淮にて 楊州で画舫を漕いでくれた母親の方にはまだまだ昔の支那が残っていたよう....
「迷信解」より 著者:井上円了
書経』の中に出てあるけれど、これを一般に吉凶禍福の判断に用うるようになりたるは、
秦漢の時代より後ならんと思う。五行家の説には、「天地は万物の父母、五行は天地の用....
「西航日録」より 著者:井上円了
) 電車は終夜さらに間断なく、市街に運転するなり。 ニューヨーク滞在中、友人
秦敏之氏とともに自由島に遊び、一絶を賦す。 建国以来已百秋、月将日進不曾休、自由....
「古事記」より 著者:太安万侶
卓素《たくそ》という者、また機《はた》を織る西素《さいそ》の二人をも貢りました。
秦《はた》の造《みやつこ》、漢《あや》の直《あたえ》の祖先、それから酒を造ること....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
中将で、河本大佐はその直前転出し、板垣征四郎大佐が着任したばかりであった。奉天の
秦少将、吉林の林大八大佐らがいたように覚えている。この会議はすこぶる重大意義を持....