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「稲垣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

稲垣の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
陣中日誌(遺稿)」より 著者:山中貞雄
ーソン》にて前線部隊に編入さる。 気候は内地と余り変らないが、夜が冷える。 (稲垣浩 宛) (三) (村長、村会を開き村民どもを集めよ)雨が滅多に降らないか....
渦巻ける烏の群」より 著者:黒島伝治
に通されている時、武石は、鼻から蒸気を吐きながら、他の扉を叩いていた。それから、稲垣、大野、川本、坂田、みなそれぞれ二三分間おくれて、別の扉を叩くのであった。 ....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
社のお使い来る。「火星探険」が出来て六十部届けられた。印税の一部も。 ◯エホンの稲垣さん来宅。自園でとれた南京豆一袋いただく。子供の大好物なり。原稿料を持参せら....
」より 著者:島崎藤村
い。散々御取持をさせて置いて、ぷいと引揚げて行って了った。兄さんも不覚だったネ。稲垣まで付いていてサ。加に、君、その旦那を紹介した男が、旅費が無くなったと言って....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
遣って、別に継嗣を求めた。 この時|根津に茗荷屋という旅店があった。その主人|稲垣清蔵は鳥羽稲垣家の重臣で、君を諌めて旨に忤い、遁れて商人となったのである。清....
明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
夫人、九条武子夫人、伊藤※子《いとうあきこ》夫人、小笠原貞子夫人、寺島鏡子夫人、稲垣栄子夫人、岩倉桜子夫人、古川富士子夫人の多くは、大正期に語る人で、明治の過去....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
いわせるかも知れない。 七兵衛は、そんな事を考えている時、下では、呉竹の間や、稲垣の蔭や、藤棚の下や、不動堂の裏あたりから、黒い人影が幾つも、のこのこと出て来....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
を得られぬので、その頃は慶応義塾が多くの洋学生を養成していたから、そこへ懸合って稲垣銀治氏というを雇った。その後尚銀治氏の紹介で稲葉犀五郎、中村田吉両氏も雇った....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
主なる役割は小森新之丞、下男与助(菊五郎)大野惣兵衛(市蔵)荷足の仙太(猿之助)稲垣小左衛門、矢切村のおしの(松助)稲垣小三郎(菊之助)小三郎の妻おみよ(栄三郎....
妾の半生涯」より 著者:福田英子
の十月なり。 二 鞄《かばん》の爆発物 同伴者は新井章吾《あらいしょうご》、稲垣示《いながきしめす》の両氏なりしが、壮士連の中には、三々五々|赤毛布《あかげ....
首頂戴」より 著者:国枝史郎
そめ、総髪の武士いい出した。 「大坂城代土岐丹後守、東町奉行井上駿河守、西町奉行稲垣淡路守、この三人を抑えつけた今日、我々の企て八分通りは成就したものと見てよか....
最後の一句」より 著者:森鴎外
じめに聞いて、月番の西奉行所のある所を、丁寧に教えてくれた。当時の町奉行は、東が稲垣淡路守種信で、西が佐佐又四郎成意である。そして十一月には西の佐佐が月番に当た....
わが寄席青春録」より 著者:正岡容
代のように男も華美になったらどうだと、ちょうどその頃そうした見解を発表したのは、稲垣足穂君だったろうか、矢野目源一君だったろうか。この所説にも私は大いに共感し、....
飢餓地帯を歩く」より 著者:下村千秋
姓はまだ布団というものに寝られるので結構だ、これから西の方の、北津軽郡の車力村、稲垣村、西津軽郡の相内、内潟、武田の村々の百姓達は、布団と名のつくものは一枚も持....
年中行事覚書」より 著者:柳田国男
比較的濃厚に伝わっている区域なのであるが、昨年の秋の頃、よくこの辺をあるきまわる稲垣、石井などという青年の口から、ミカエリバアサンの話というのを私は聴いた。あの....