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稲村ヶ崎
「稲村ヶ崎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
稲村ヶ崎の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「四月馬鹿」より 著者:渡辺温
わざと小田急には乗らずに、東京駅から鎌倉へ行って、鎌倉から幌を取らせた自動車で
稲村ヶ崎を抜けて、海辺づたいに真直ぐに、江の島へ向いました。 おそらく一二時間....
「恨みの蠑螺」より 著者:岡本綺堂
切上げて、鎌倉のお名残りに由比ヶ浜へ出て、貝をあさる女子供の群れをながめながら、
稲村ヶ崎の茶屋に休んでいると、五十前後の男が牛を牽いて来た。 「牛に乗ってくだせ....
「あなたも私も」より 著者:久生十蘭
しもちがわない。 飯島の端《はな》にある叔母の家の広縁からながめると、むこう、
稲村ヶ崎の切通しの下までつづく長い渚には、暑い東京で、汗みずくになって働きながら....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
古式も略されていた。道誉もそれに倣って外門の礼だけですぐ立った。そして大町口から
稲村ヶ崎、金洗い坂と、やがて府内との関門も後ろの遠くにしたと思うと、彼方の砂丘を....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ったのである。 浜手へ向った右翼、大館宗氏の一隊が、この朝の引潮どきを狙ッて、
稲村ヶ崎の干潟を伝い、敵中突入への“抜け駈け”に出たのであった。 奇功をそうし....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、船上から龍神を拝んだという一事などもおもしろい。 新田義貞が鎌倉攻めのさいに
稲村ヶ崎で剣を龍神へむかって投じたという、いわゆる“龍神伝説”は、その地形条件な....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
倉攻勢ススム。 十八日 後醍醐ノ車駕。伯耆船上山ヲ発ス。 二十一日 新田義貞、
稲村ヶ崎ヨリ鎌倉ノ府内ヘ突入。 二十二日 北条高時ソノ他一族全滅、鎌倉幕府|亡ブ....