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「稲荷町〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

稲荷町の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
かった。隣りの竹倉という船宿で訊くと、お信の死骸は検視が済むや否や、すぐに下谷|稲荷町《いなりちょう》の女房の里方へ運んで、今夜はそこで内々の通夜《つや》をする....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
《ほうそう》の痕が二つばかり大きく残っているのが眼についた。彼は下谷《したや》の稲荷町《いなりちょう》に住んでいる富蔵と名乗った。 「ただいま亀さんのお話をうか....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
に暇を出されるのはちっと可怪しい。これにゃあ何か訳がありそうだ。お直の宿は下谷の稲荷町だというから、ともかくも尋ねて行ってみろよ」 「してみると、お直という奴も....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
してにげ、新大橋の下に何時間もがんばって、ようやく二つの命を拾った由。 ◯浅草は稲荷町から上野駅前へかけて焼け残っている。他に人家を見ず。 ◯二時間半歩いて上野....
名人長二」より 著者:三遊亭円朝
ないので、深く心痛いたされまして、漸々に幸兵衛が龜甲屋お柳方へ入夫になる時、下谷稲荷町の美濃屋茂二作と其の女房お由が媒妁同様に周旋をしたということを聞出しました....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
ますので、私も子供心にチョイと脳が動いて、 「小父さん、その彫刻師ってのは、あの稲荷町のお店でコツコツやってるあれなんですか」と私は使いに行く途中にその頃あった....
敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
も妙だのう、それじゃアお前何かえ、江戸の者かえ」 又「いゝえ私はねえ旦那様富山|稲荷町の加賀屋平六と云う荒物御用で、江戸のお前さん下谷茅町の富山様のお屋敷がござ....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
を出ると馬道であった。それを突っ切って仲町へ出た。田原町の方へ突進した。清島町、稲荷町、車坂を抜けて山下へ出、黒門町から広小路、こうして神田の大通りへ出た。 ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
《さんじょうこばしなわて》池田屋の騒動」 「おや、池田屋騒動って何でしょう」 「稲荷町に池田屋という呉服屋さんがあってよ」 「呉服屋さん? その呉服屋さんがどう....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
る。 私は下谷北清島町に生まれ、光明氏もやはり下谷で、北清島町からは何程もない稲荷町の宮彫師石川家に生まれた人です(稲荷町は行徳寺の稲荷と柳の稲荷と両つあるが....
註文帳」より 著者:泉鏡花
か、お前さん。こういうては何じゃけれど、田町の剃刀研、私は広徳寺前を右へ寄って、稲荷町の鏡研、自分達が早や変化の類じゃ、へへへへへ。」と薄笑。 「おやおや、汝か....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
ひ》きゐる傍《かたわら》に扮装せる役者の打語《うちかた》れるあり。あるひは楽屋|稲荷町《いなりまち》の混雑、中二階《ちゅうにかい》女形部屋《おんながたへや》の体....
特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
る。)これ六条村の名ある所以である。その以前寛文頃迄は、今の松原通り東洞院の東、稲荷町の地にあったとも言われている。その地は因幡薬師の東で、或いは東寺の散所法師....