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「穆〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

穆の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
るは足利義政の世既にあった事となるはずだが、大分怪しいて。 支那の名馬は、周|王《ぼくおう》の八駿、その名は赤驥、盗驪、白義、踰輪、山子、渠黄、華※、緑耳で....
十二支考」より 著者:南方熊楠
者は王、雌を得る者は伯たりと。すなわち童子を追うと雉《きじ》と化《な》った。秦の公《ぼくこう》大いに猟してやっとその雌の方を獲、祠《ほこら》を立って祭ると光あ....
十二支考」より 著者:南方熊楠
神あり、歳初め人を以て祭り、あるいは※猴を用いて祭る〉。これは『抱朴子』に〈周|王《ぼくおう》南征す、一軍皆化して、君子は※と為り鶴と為り、小人は虫と為り沙と....
日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
せられたように、清く明るき鏡の心より発する知恵の光を磨き、勇猛に正義の剣を振い、《ぼく》たる玉の如き徳を含んで、遂に神人合一、十方世界を全身とする努力になけれ....
死者の書」より 著者:折口信夫
宮廷の御あるじで居させられた頃、八歳の南家の郎女は、童女として、初の殿上をした。々たる宮の内の明りは、ほのかな香気を含んで、流れて居た。昼すら真夜に等しい、御....
成仙」より 著者:田中貢太郎
文登の周生は成生と少い時から学問を共にしたので、ちょうど後漢の公沙と呉祐とが米を搗く所で知己になって、後世から杵臼の交といわれたような親しい仲で....
山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
部分が、日本の「死者の書」見たようなところがあるので、これへ、聯想を誘う為に、「天子伝」の一部を書き出しに添えて出した。そうして表題を少しひねってつけて見た。....
親鸞」より 著者:三木清
へども、しばらく両説をあぐ。一には法上師等、周異記によりていはく、仏、第五の主、王満五十三年壬申にあたりて入滅したまふ。もしこの説によらば、その壬申よりわが延....
明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
これらの人々は輦轂《れんこく》のもとに勢力を有しておった。地方には今北洪川、西有山《にしありぼくざん》、由利滴水、橋本峩山、新井日薩、七里恒順、などという人々....
漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
ある。 その後は大分御無沙汰御海恕|可被下候。時下窮陰之候|筆硯いよいよ御|清奉賀候。さて先般来当熊本人常松|迂巷なる人当市『九州日々新聞』と申すに紫溟吟社....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
て官界なり実業界なりに飛込む気にはなれなかった。元来が軍人志願の漢学仕込で、岳武や陸宣公に鍛えられていた上に、ヘルチェンやビェリンスキーの自由思想に傾倒して意....
三国志」より 著者:吉川英治
またたちまち一方の敵を蹴ちらすという奮戦ぶりだった。 上党の太守張楊の旗下に、順という聞えた名槍家があった。その順の槍も、呂布と戦っては、苦もなく真二つに....
三国志」より 著者:吉川英治
宿将をはじめとして、 彭城の曼才、会稽の徳潤、沛県の敬文、汝南の徳枢、呉郡の休、また公紀、烏亭の孔休など。 かの水鏡先生が、孔明と並び称して――伏龍、鳳雛....
三国志」より 著者:吉川英治
意のほどを、そっとお降しあれば、父はきっと、曹操を刺す謀をめぐらしましょう……。順なれば確かです。あれをおつかわし遊ばしませ」 伏皇后は、ついに思いきって帝....