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竢
「竢〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
竢の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「弟子」より 著者:中島敦
、子路の泣いたのは天下のためではなく孔子一人のためである。 この人と、この人を
竢《ま》つ時世とを見て泣いた時から、子路の心は決っている。濁世《だくせ》のあるゆ....
「浮雲」より 著者:二葉亭四迷
然と思っていたように、急《せ》かず、騒がず、優游《ゆうゆう》として時機の熟するを
竢《ま》っていた、その心の長閑《のどか》さ、寛《ゆるやか》さ、今|憶《おも》い出....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
れた者は、全くその生活の資料を失ってしまうのであるから、その酷刑であることは論を
竢《ま》たないが、ハワイその他の蛮族中には、タブーを犯す者は、多くはこれを死刑に....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
年の新年号に「蛇の話」として出すから読者諸君は竜の眼を瞼《みは》り蛇の鎌首を立て
竢《ま》ちたまえというのみ。ついでに言う、秀郷の巻絹や俵どころでなく、如意瓶《に....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
梨《ありのみ》と言い掛けた山梨姫とは、野猪が山梨を嗜《この》むにや、識者の教えを
竢《ま》つ。 三河国|池鯉鮒《ちりふ》大明神の守符、蛇の害を避く。その氏子の住....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
天上霊域で待ち合され居るはずとさる高僧から承った。とにかく昔の仏徒が弥勒の出世を
竢《ま》つ事、古いキリスト教徒がミルレニウムを
竢ったごとく、したがって、中国や朝....
「デカルト哲学について」より 著者:西田幾多郎
いて基底的なるものが考えられるかぎり、それは自ら働くものではない。自己否定を他に
竢《ま》たなければならない。何処までも自己の中に自己否定を含み、自己否定を媒介と....
「曙覧の歌」より 著者:正岡子規
歌は彼の神明的理想を現したるものにて、この種の思想が日本の歌人に乏しかりしは論を
竢《ま》たず。(曙覧の理想も常にこの極処に触れしにあらず)一般に天然に対する歌人....
「俳人蕪村」より 著者:正岡子規
曰《いわ》く、否《いな》。 芭蕉が創造の功は俳諧史上特筆すべきものたること論を
竢《ま》たず。この点において何人《なんぴと》かよくこれに凌駕《りょうが》せん。芭....