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「竹馬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

竹馬の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
邪宗門」より 著者:芥川竜之介
またもの見高い市女笠《いちめがさ》やらが、数《かず》にしておよそ二三十人、中には竹馬に跨った童部《わらべ》も交って、皆|一塊《ひとかたまり》になりながら、罵《の....
鳥辺山心中」より 著者:岡本綺堂
こで討つのは当然だが、おれが頼む、逃げてくれ」と、市之助は言った。「お身とおれは竹馬《ちくば》の友だ。源三郎とても同様で、互いに意趣も遺恨もあっての果し合いでな....
振動魔」より 著者:海野十三
置かねばならないが、僕は元来、柿丘と郷里の中学を一緒にとおりすぎてきた、いわゆる竹馬の友というやつで、僕は一向金もなく名声もない一個の私立中学の物理教師にすぎな....
少年探偵長」より 著者:海野十三
山塞の頭目、四馬剣尺の姿を、レントゲンで透視したことがあったが、それは脚にながい竹馬をゆわえつけた小男であった。ところがそののち机博士が、頭目の脚にさわってみた....
凧の話」より 著者:淡島寒月
て話して見よう。その頃、男の子の春の遊びというと、玩具では纏や鳶口、外の遊びでは竹馬に独楽などであったが、第一は凧である。電線のない時分であるから、初春の江戸の....
家なき子」より 著者:楠山正雄
くはまだなんだかわかりません。じやあこのへんには大男がいるのですか」 「そうさ。竹馬に乗っていれば大男にも見えるさ」 そこでかれはわたしに説明してくれた。砂地....
妖婆」より 著者:岡本綺堂
にいじめられるぞ」と堀口にからかわれたのを根に持ったものらしい。それだけの意趣で竹馬の友ともいうべき堀口を殺害するとは、何分にも解し難いことであるという説もあっ....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
筋向いになっている。 鶴見はもう幼年期を終って立派に少年時代に入る。独楽や凧や竹馬や根っ木やらは棄てられねばならない。鶴見はそのなかでも独楽は得意で、近所の町....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
児にむかって、「この辺に岡本さんという家はありませんか。」と訊いたので、わたしは竹馬に乗ったままで自ら進んで出て、「あたしの家はあすこです。」と指さして教えると....
二階から」より 著者:岡本綺堂
の車が絶間なく通って、さなきだに霜融の路をいよいよ毀して行くのも此頃です。子供が竹馬に乗って歩くのも此頃です。火の番銭の詐欺の流行るのも此頃です。しかし風のない....
鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
するさ。賀古なぞは十二時が打たんけりゃ来ないよ、」といった。 賀古翁は鴎外とは竹馬の友で、葬儀の時に委員長となった特別の間柄だから格別だが、なるほど十二時を打....
斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
度々遊びに来ていた。緑雨は相応に影では悪語をいっていたが、それでも新帰朝の秀才を竹馬の友としているのが万更悪い気持がしなかったと見えて、咄のついでに能く万年がこ....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
島根から上京して四谷の忍原横町の親戚の家に寄食した。その時分もヤンチャン小僧で、竹馬の友たる山田|美妙の追懐談に由ると、お神楽の馬鹿踊が頗る得意であって、児供同....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
賜え」と。その時には私はわが生命を救われたかのような喜びを生じたです。堺では私の竹馬の友である伊藤市郎氏、この方もよく慰みに網打に行かれたですが高部氏の話をして....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
についてさほどの大差がないのに、人間の体の動かし方や歩き方は獣類に比して、まるで竹馬に乗っかって歩くように(木に竹をついだように)全く不自然にゴツゴツとぎこちな....