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「竹馬の友〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

竹馬の友の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
非凡なる凡人」より 著者:国木田独歩
とは! 桂はここで三度の食事をするではないか、これをいやいやながら食う自分は彼の竹馬の友といわりょうかと、そう思うと僕は思わず涙を呑んだのである。そして僕はきゅ....
振動魔」より 著者:海野十三
置かねばならないが、僕は元来、柿丘と郷里の中学を一緒にとおりすぎてきた、いわゆる竹馬の友というやつで、僕は一向金もなく名声もない一個の私立中学の物理教師にすぎな....
走れメロス」より 著者:太宰治
来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている....
新ハムレット」より 著者:太宰治
。それが国王としてのわしの義務だ。」 ハム。「レヤチーズ。僕と同じ、二十三歳。竹馬の友。少し頑固で怒りっぽく、僕には少し苦手だったが、でも、いい奴だった。死ん....
怪談牡丹灯籠」より 著者:三遊亭円朝
た処が、それでも往って見たいと仰しゃいますの」 志「いや、此は僕の真の知己にて、竹馬の友と申しても宜しい位なもので、御遠慮には及びませぬ、何卒ちょっと嬢様にお目....
河霧」より 著者:国木田独歩
見ると、板の色も文字の墨も同じように古びて「片山四郎」と書いてある。これは豊吉の竹馬の友である。 『達者でいるらしい、』かれは思った、『たぶん子供もできているこ....
魔王物語」より 著者:田中貢太郎
として家を守っていた。 雨の※弟の正太夫と云うのが見舞に来た。正太夫は平太郎の竹馬の友であった。正太夫は挨拶がすむと、己が差して来た刀を手に執りあげて平太郎に....
ニューフェイス」より 著者:坂口安吾
江戸のマンナカに生れて育ったチャキ/\なんだ。小学校も一しょ、商業学校も一しょ、竹馬の友、助け助けられ、女房にはナイショのことも六人だけは打ちあけて、持ちつ持た....
妖婆」より 著者:岡本綺堂
にいじめられるぞ」と堀口にからかわれたのを根に持ったものらしい。それだけの意趣で竹馬の友ともいうべき堀口を殺害するとは、何分にも解し難いことであるという説もあっ....
駅夫日記」より 著者:白柳秀湖
よそに嫁づいてしもうた。この弥吉とお幾との間に出来たのがかの小林浩平で、駅長とは竹馬の友であった。 ところがお幾は浩平を産むととかく病身で、彼がやっと六歳の時....
水晶の栓」より 著者:新青年編輯局
イユと申上げれば此度事件の裏面はほぼ御解りでしょうと存じます。この三人はもとから竹馬の友で、学校も同じければ、軍隊も同じ連隊でした。その時、プラスビイユはニイス....
鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
するさ。賀古なぞは十二時が打たんけりゃ来ないよ、」といった。 賀古翁は鴎外とは竹馬の友で、葬儀の時に委員長となった特別の間柄だから格別だが、なるほど十二時を打....
斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
度々遊びに来ていた。緑雨は相応に影では悪語をいっていたが、それでも新帰朝の秀才を竹馬の友としているのが万更悪い気持がしなかったと見えて、咄のついでに能く万年がこ....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
島根から上京して四谷の忍原横町の親戚の家に寄食した。その時分もヤンチャン小僧で、竹馬の友たる山田|美妙の追懐談に由ると、お神楽の馬鹿踊が頗る得意であって、児供同....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
賜え」と。その時には私はわが生命を救われたかのような喜びを生じたです。堺では私の竹馬の友である伊藤市郎氏、この方もよく慰みに網打に行かれたですが高部氏の話をして....