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「筑波〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

筑波の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
打《かたきうち》は徒労に終ってしまいそうな寂しさに沈み勝ちであった。 その内に筑波颪《つくばおろ》しがだんだん寒さを加え出すと、求馬は風邪《かぜ》が元になって....
富士」より 著者:岡本かの子
り、入間路《いりまじ》の大家が原、埼玉《さきたま》の津、廻って常陸の国に入った。筑波|嶺《ね》に、雪かも降らる、否諾《いなを》かも、愛《かな》しき児等が、布乾《....
婦系図」より 著者:泉鏡花
こう、姉え、姉え、目を開いて口を利きねえ。もっとも、かっと開いたところで、富士も筑波も見えるかどうだか、覚束ねえ目だけれどよ。はははは、いくら江戸|前の肴屋だっ....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
した。 ◯講談社の稿料十円より二十円へあがる。 ◯探偵小説雑誌案いろいろとあり、筑波書林のものは既に発足した。乱歩さんのところへ持込まれた他のものは断った由。但....
河明り」より 著者:岡本かの子
竜舌蘭だの、その他熱帯植物が使われていた。土人が銭に使うという中央に穴のある石が筑波井風に置いてあった。 庭も茶室もまだこの異趣の材料を使いこなせないところが....
南地心中」より 著者:泉鏡花
りの鳥打帽で、朝から見物に出掛けた……この初阪とは、伝え聞く、富士、浅間、大山、筑波、はじめて、出立つを初山と称うるに傚って、大阪の地へ初見参という意味である。....
寺内の奇人団」より 著者:淡島寒月
ヘヾライさんは、写真屋を始めてなかなか繁昌しました。写真師ではこの人の他に、北庭筑波、その弟子に花輪吉野などいうやはり奇人がいました。 次に、久里浜で外国船が....
亡び行く江戸趣味」より 著者:淡島寒月
情緒に陶酔もする、またクララ・キンベル・ヤングやロンチャニーも好愛し、五月信子や筑波雪子の写真も座臥に用意して喜べる。こういう風に私は事々物々|総てに親愛を見出....
諸国の玩具」より 著者:淡島寒月
、今立派な共同便所のある処|辺に、伊井蓉峰のお父さんの、例のヘベライといった北庭筑波がいました。ヘベライというのは、ヘンホーライを通り越したというのでヘベライと....
秋の筑波」より 著者:大町桂月
一 関城の趾 東京の人士、若し土曜日より泊りがけにて山に上らむとならば、余は先づ筑波登山を提出せむとする也。 上野より水戸線に由りて、土浦まで汽車にて二時間半....
三枚続」より 著者:泉鏡花
屋をしているけれども、父が存生の頃は、隅田川を前に控え、洲崎の海を後に抱き、富士筑波を右左に眺め、池に土塀を繞らして、石垣高く積累ねた、五ツの屋の棟、三ツの蔵、....
註文帳」より 著者:泉鏡花
ます。」 「しかし寒いの。」と藤三郎は懐手で空を仰ぎ、輪|形にずッと※して、 「筑波の方に雲が見えるぜ。」 七 「嘘あねえ。」 と五助はあとでま....
穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
なる穂高ちょう、理想的巨人の御陰だろうとしみじみ感ぜられた。 標高千米突内外の筑波や箱根では、麓で天候を予想して登っても、大なる失策はなかろう、が三千米突以上....
古事記」より 著者:太安万侶
おり》の宮においでになつた時に、お歌いなされるには、 常陸の新治《にいはり》・筑波《つくば》を過《す》ぎて幾夜《いくよ》寢《ね》たか。 ここにその火《ひ》....
こがらし」より 著者:岩本素白
こがらし、筑波おろし、そういう言葉を明治中期の東京の少年達は早くから知って居た。そうして其....