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「節会〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

節会の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
県ごとに八十一疋の白馬を上《たてまつ》らしめ、その総数十万疋を越えたという。白馬節会《あおうまのせちえ》の白馬を青馬と訓《よ》ますを古く不審《いぶか》しく思うた....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
ら即位式をも往々にして省略されたのは、けだしそのためであろう。しかしながら恒例の節会《せちえ》等の停廃をもって、直ちに宮廷の御経済向き不如意のためと、一概に断定....
源氏物語」より 著者:紫式部
、返歌をせねば礼儀でなし、またようしないでいては恥だし困ってしまいますね。宮中の節会《せちえ》の日なんぞ、急いで家を出る時は歌も何もあったものではありません。そ....
源氏物語」より 著者:紫式部
わる騒ぎの中でも、寂しい常陸の宮を思いやっていた源氏は、七日の白馬《あおうま》の節会《せちえ》が済んでから、お常御殿を下がって、桐壺《きりつぼ》で泊まるふうを見....
源氏物語」より 著者:紫式部
寂しい恰好《かっこう》をして、力のないふうに事務を取っていた。白馬《あおうま》の節会《せちえ》であったから、これだけはこの宮へも引かれて来て、女房たちが見物した....
源氏物語」より 著者:紫式部
右馬寮の馬が前庭に並べられ、左近衛、右近衛の武官がそれに添って列立した形は五月の節会の作法によく似ていた。午後二時に南の寝殿へお移りになったのであるが、その通御....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
かぎり無しといふ 〔巻二十・四四九四〕 大伴家持 同じく正月七日の侍宴(白馬の節会)の為めに、大伴家持が兼ねて作った歌だと左注にある。「水鳥の鴨の羽の色の」は....
「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:作者不詳
ない琴の上手な女房が居らっしゃった。その頃まだ少将であった冷泉の大納言隆房の卿が節会に参内せられた時、一目見て恋された女房である。始めは恩をこめた歌心をこめた文....
大力物語」より 著者:菊池寛
一 昔、朝廷では毎年七月に相撲の節会が催された。日本全国から、代表的な力士を召された。昔の角力は、打つ蹴る投げる....
私本太平記」より 著者:吉川英治
もない」 「朝におわせば、大晦日には追儺の式、元日には清涼東階の四方拝のおん儀、節会、大饗など、さまざまな行事やら百官の唱える万歳に祝がれ給う大君であり、あなた....
私本太平記」より 著者:吉川英治
や花漆のあじろ車で、どこにそんな飢えがあるかのようにしか眺められない。 正月の節会 小朝拝、百官の参賀 朝覲の行幸 二ノ宮(東宮・中宮)の大饗 子の日....
私本太平記」より 著者:吉川英治
と、古典はいとかんたんに書いている。 新玉の年立ち帰れども 内裏には朝拝もなし節会もおこなはれず 京、白河には 家をこぼちて堀に入れ 財を積んでは持ち運ぶ……....
山の人生」より 著者:柳田国男
出でて来り仕え、御贄を献じたのに始まるのであります。『延喜式』の宮内式には、諸の節会の時、国栖十二人笛工五人、合せて十七人を定としたとあります。古注には笛工の中....
年中行事覚書」より 著者:柳田国男
に対する御遠慮ではなかった。その証拠には、昔の宮廷の女たちも皆セチといい、ことに節会は男でも必ずセチエといっていた。白馬節会はアオウマノセチエ、豊明節会はトヨノ....