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篆
「篆〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
篆の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玄鶴山房」より 著者:芥川竜之介
や》は先妻の娘に通じていた。それから或弁護士は供託金を費消していた。それから或|
篆刻家《てんこくか》は、――しかし彼等の犯した罪は不思議にも彼の苦しみには何の変....
「魚河岸」より 著者:芥川竜之介
業はほとんど人任せにしたなり、自分は山谷《さんや》の露路《ろじ》の奥に、句と書と
篆刻《てんこく》とを楽しんでいた。だから露柴には我々にない、どこかいなせな風格が....
「食魔」より 著者:岡本かの子
する彫版師のような仕事もした。そこから自ずから彼は表具もやれば刀を採って、木彫|
篆刻の業もした。字は宋拓を見よう見真似に書いた。画は彼が最得意とするところで、ひ....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
われている。 かれが家にある時は、常に木彫りの書物を読んでいるが、その文字は符
篆の如くで、誰にも読むことは出来ない。晴れた日には両手に剣を舞わすが、その光りは....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
っぱい生けてあった。そばには二個の大きな碑が建てられて、一方は太政大臣|三条実美
篆額、斎藤竹堂撰文、一方は陸奥守藤原慶邦
篆額、大槻磐渓撰文とある。いずれも林子平....
「黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
て、その下が時計の機械室だった。しかし、その時扉の裏側に、はしなくも異様な細字の
篆刻を発見したのである。すなわち、その右側の扉には……
――天正十四年五月十九....
「骨董」より 著者:幸田露伴
ったばっかりでなかったのである。そこでその定窯の鼎の台座には、友人だった李西涯が
篆書で銘を書いて、鐫りつけた。李西涯の銘だけでも、今日は勿論の事、当時でも珍重し....
「令狐生冥夢録」より 著者:田中貢太郎
を願います」 録事は頷いて朱筆を持ち、一つの帖に何か書いて渡してくれた。それは
篆籀のような文字で読むことができなかった。 一行はそこから府門を出て北に向って....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
れつきで、書物を読めばすぐに記憶するばかりか、大きい筆を握ってよく大字をかいた。
篆書でも隷書でも草書でも、学ばずして見事に書くので、見る人みな驚嘆せざるはなかっ....
「後光殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
ていて、薬師堂を卍形に曲り、現場に迄達している。堂は四坪程の広さで、玄白堂と云う
篆額が掛っているが、堂とは名のみのこと、内部には板敷もなく、入口にもお定まりの狐....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
を取って教えた人ではない。出身地は備後であったかと思います。 山田泰雲君は元|
篆刻師の弟子であったが、芦野楠山先生の世話で師の許を得て私の門下となった。大分出....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
懸賞したものもあるが獲られなかった。 日露戦役後、度々部下の戦死者のため墓碑の
篆額を書かせられたので
篆書は堂に入った。本人も得意であって「
篆書だけは稽古したか....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
のいわゆる常上着の晴着なしであったろうが、左に右くリュウとした服装で、看板法被に
篆書崩しの齊の字の付いたお抱え然たる俥を乗廻し、何処へ行っても必ず俥を待たして置....
「近作鉢の会に一言」より 著者:北大路魯山人
にしか絵も書も出来ませず、なにほどの者でもありませんが、幸い絵が好き、書が好き、
篆刻は固より古書画、骨董等、洋の東西を問わず古今に偏せず良いものを良しとなす貧弱....
「素人製陶本窯を築くべからず」より 著者:北大路魯山人
さんについてはどんな望みをもって製陶に臨まれたか、私はよく知悉しない……が、氏は
篆刻を鉄城に学んでみ、あるいは富岡鉄斎翁の画を臨写してみずから発表するなど一方な....