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「篋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

篋の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
運命」より 著者:幸田露伴
出亡したまわんには如かじと。少監王鉞跪いて進みて白す。昔|高帝升遐したもう時、遺あり、大難に臨まば発くべしと宣いぬ。謹んで奉先殿の左に収め奉れりと。羣臣口々に....
緑衣人伝」より 著者:田中貢太郎
たを私が想うようになりました、ある晩、暗い所で、あなたをお待ちしていて、綉羅の銭を差しあげますと、あなたは私に、※瑁の脂盒をくださいました、二人の間は、そうし....
我が子の死」より 著者:西田幾多郎
かったが、遂に一言も亡児の事に及ばなかった。ただ余の出立《しゅったつ》の朝、君は底《きょうてい》を探りて一束の草稿を持ち来りて、亡児の終焉記《しゅうえんき》な....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
しょ》。そこには徳川氏累代の貴婦人の墓が多い。或いは無縫塔、或いは五輪、或いは宝印《ほうきょういん》、高さは一丈にも二丈にも及ぶものがあって、米友の怪力を以て....
植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
柏万年松即石松之小者也(中略)五雑組《ござつそ》云楚中有万年松長二寸許葉似側栢蔵笥中或夾冊子内経歳不枯取置沙土中以水澆之俄頃復活或人云是老苔変成者然苔無茎根衡....
楠公夫人」より 著者:上村松園
はならぬところを感じるのである。 それは京都嵯峨の奥なる、小楠公の首塚のある宝院である。 弁内侍と正行公との、美しくも哀しい物語を憶い出す。 私は嵯峨宝....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
精神肉体共に堪え難き苦痛と戦った時代であった。それは何冊かの日記になって今もなお底に残って居る。吉田町の何とかいう開業医は余に一年間の静養を勧めた。けれども余....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
来ないと三山はいっていた。この三山も今では易簀してしまったが、手紙は多分三山の遺の中に残ってるかも知れない。 が、露国へ行って何をするツモリであった乎は友人....
夏の町」より 著者:永井荷風
ばかり行っていた時の事を半紙|二帖《にじょう》ほどに書いたものが、今だに自分の手《てばこ》の底に保存されてある。成島柳北《なるしまりゅうほく》が仮名|交《まじ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
これが鑁阿寺の置文なら、世にありえない物があることになる。むかし、鑁阿寺の秘からとり出して実物を一見したとき、彼はすぐそのあとで、焼きすててしまっている。....
失うた帳面を記憶力で書き復した人」より 著者:南方熊楠
前成った、班固の『前漢書』五九の張安世の伝にある。「上、河東に行幸す。かつて書三を亡《うしな》う。詔して問うに能《よ》く知る者なし。ただ安世これを識り、〔以下欠文〕....