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篤志家
「篤志家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
篤志家の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「古代国語の音韻に就いて」より 著者:橋本進吉
とがわかるのであります。しかし、これは世間に写本が二、三冊位しかなく、近年京都の
篤志家が謄写版で版にしまして幾分か世に広まった位であります。それ以外にこれに関す....
「青春の逆説」より 著者:織田作之助
す」 「そりゃ惜しいね」と校長は言い、「実は……」と説明したのはこうだった。ある
篤志家があって、大阪府下の貧しい家の子弟に学資を出してやりたい。無論、条件がある....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
奔走した。 「姫君さまのお輿なら、おれも一肩入れさせてもらいたいな。」 これも
篤志家の一人の声だった。 翌日は中津川お泊まりの日取りである。その日は雨になっ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
んなが言おうとしてまだ言い得ないでいることをよく言いあらわして見せてくれるような
篤志家のあることがわかる。その写本の中には、こういうことが説いてある。建武の中興....
「パンドラの匣」より 著者:太宰治
うな有様になったので、この辺には、さいわい敵機の襲撃もほとんど無いし、地方有力の
篤志家が二、三打ち寄り、当局の賛助をも得て、もとからこの山腹にあった県の療養所を....
「連句雑俎」より 著者:寺田寅彦
けの余裕のないことを遺憾とする。もし渋柿《しぶかき》同人中でこれを試みようという
篤志家を見いだすことができれば大幸である。以上はただそういう方面の研究をする場合....
「地図をながめて」より 著者:寺田寅彦
るのであるが、それは幸いに帝国学士院や、原田積善会、服部報公会等の財団または若干
篤志家の有力な援助によって支弁され、そのおかげで次第に観測資料が蓄積され、その結....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
必要で、紀州では毎年少なからず信州より買い入るを遺憾に思い、胡桃沢勘内氏民俗学の
篤志家で文通絶えざるを幸い、その世話で種を送りもらい植え付けて後|穿鑿《せんさく....
「長崎の印象」より 著者:宮本百合子
人の蔵にしまわれている由。それ故、長逗留をし、縁故を辿って気永く研究しようとする
篤志家は兎も角、私のように貧しい予備知識と短い時間しか持ち合わせず、而も、過去の....
「幸福のうわおいぐつ」より 著者:アンデルセンハンス・クリスチャン
。たとえば買い立ての帽子が夕立にあうところを助けてやったり、ある正直な男に無名の
篤志家からほどこし物をもらってやったり、まあそんなことでした。しかし、そのあとで....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
ていたら必ず新生面を拓く種々の胸算があったろうと思う。正倉院の門戸を解放して民間
篤志家の拝観を許されるようになったのもまた鴎外の尽力であった。この貴重な秘庫を民....
「遠州地方の足洗」より 著者:喜田貞吉
たく、かねて調査の機会を求めていながら、未だ着手に及ばなかった折柄、同地方の或る
篤志家から、最も有益なる、かつ最も愉快なる左の如き完全融和の事実の通信を得た。 ....
「編輯雑感」より 著者:喜田貞吉
態にあるのに不審を感じ、研究してみたいという念を起すに至った。それから数回天部の
篤志家竹中半左衛門翁を訪問して、所蔵の古文書を見せてもらい、また同翁経営の夜学校....
「特殊部落ということについて」より 著者:喜田貞吉
究をもこれに合せて、早晩前者の姉妹篇とも云うべき一つの増大号を発行し、以てこれら
篤志家各位の好意に酬いんことを予期して、しばらくこの方面に関する論説記事の掲載を....
「融和促進」より 著者:喜田貞吉
ったと記憶しますが、私が始めて京都大学の講師として赴任した年のこと、同地の天部の
篤志家故竹中庄右衛門翁の家庭を訪うて、その所蔵の古文書を見せてもらい、そのついで....