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米原
「米原〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
米原の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「西郷隆盛」より 著者:芥川竜之介
ぶどうしゅ》のコップを前にしながら、ぼんやりM・C・Cの煙をふかしていた。さっき
米原《まいばら》を通り越したから、もう岐阜県の境《さかい》に近づいているのに相違....
「土曜夫人」より 著者:織田作之助
から手を握られてみると、あっけなく夢はこわれ、もう貴子はリアリズムの女であった。
米原を過ぎると、貴子は、 「ちょっとこっちを向いてごらん……?」 春隆の瞼を眼....
「高野聖」より 著者:泉鏡花
岐阜《ぎふ》ではまだ蒼空《あおぞら》が見えたけれども、後は名にし負う北国空、
米原《まいばら》、長浜《ながはま》は薄曇《うすぐもり》、幽《かすか》に日が射《さ....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
て三日市へ、三日市にて名物西瓜を食い、汽車四十分遅れたれど無事十二時四十分発にて
米原へ乗換後神戸へ一時着。 (一九二六・九) 兵庫立山登山 私は兵庫県と鳥取及....
「幾度目かの最期」より 著者:久坂葉子
云いました。別の一人が、 「タケオがいいよ」 タケオとは武生とかくんだそうで、
米原の先、北陸線だそうです。私は其処へ行こうときめたんです。 風邪をひいていて....
「投手殺人事件」より 著者:坂口安吾
選手と契約を結ばれたのは、何時ごろですか」 「イヤ。それが奇妙なのですよ。汽車が
米原へつくと、大鹿が乗りこんできたのです。どうして、この汽車に乗ってることが分っ....
「雪霊続記」より 著者:泉鏡花
を済したあとを、姫路行の汽車で東京へ帰ろうとしたのでありました。――この列車は、
米原で一体分身して、分れて東西へ馳ります。 それが大雪のために進行が続けられな....
「回想録」より 著者:高村光太郎
る。それと同じ時代に、盲人が杖を持って河を渡っているところの彫刻があるが、これは
米原雲海さんが拵えた悪どいものだが、それも父の名前になっている。 そういう実際....
「『七面鳥』と『忘れ褌』」より 著者:佐藤垢石
奉る計画であって、既に城を修繕し、領内湖浜の村々へは御用船数十艘を命じ、かつ領内
米原において大屋根船一艘の製造に着手している―― などという蜚語が乱れ飛んだ。....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
出しては人に書かせ、自分は口で返事をするのでした。 妻の静子さんは、森の親戚の
米原家の人なのですが、その生れた時に、私どものお父様の名の一字を取って、静子と名....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
し初めました。何しろこのような大きなものだから、弟子を使ってやりました。その頃|
米原雲海氏も私の宅に来ていたので手伝い、また俵光石氏も手伝いました。 娘のこと....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
うになって来ていました。 谷中に来て第一に弟子にしてくれといって訪ねて来た人は
米原雲海氏でありました。 この人は出雲の国、安来の人、この頃|流行っている安来....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
時山崎氏の作は出品されていました。氏は福岡県|博多の人で、同地よりの出品でした(
米原氏も当時は安来に帰郷していて其所から軍鶏の彫刻を出品した)。山崎氏の作は養老....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
十二日であった。十四日にあたかも露西亜から帰着した後藤男を敦賀に迎え、その翌日は
米原まで男爵と同車し、随行諸員を遠ざけて意見を交換したそうだ。如何なる意見が交換....
「四つの都」より 著者:織田作之助
かったぞ」 新吉「あ、汽車が停った」 窓をあける。 駅員の声(マイクを通して)「
米原。
米原。五分間停車、北陸線乗換え、敦賀、直江津、新潟方面行の方は右の階段を登....