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「籾〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

籾の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
猿蟹合戦」より 著者:芥川竜之介
蟹は穴の中に、臼は台所の土間《どま》の隅に、蜂は軒先《のきさき》の蜂の巣に、卵は殻《もみがら》の箱の中に、太平無事な生涯でも送ったかのように装《よそお》ってい....
野菊の墓」より 著者:伊藤左千夫
く年もくれ冬期休業になった。 僕が十二月二十五日の午前に帰って見ると、庭一面に《もみ》を干してあって、母は前の縁側に蒲団《ふとん》を敷いて日向ぼっこをしてい....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
とのあいだに、昌太郎お梅の子供がある。昌之助の弟銀之助はことし二十二歳で、深川|蔵前の大瀬喜十郎という二百石取りの旗本屋敷へ養子に貰われている。昌之助と銀之助....
義民甚兵衛」より 著者:菊池寛
食物じゃけになあ。 甚三 お母、木津の藤兵衛の家じゃもう食物が尽きたけに、来年の種にまで、手を付けたというぞ。 おきん 藤兵衛が家でけ。ええ気味じゃ。藤兵衛の....
隣の嫁」より 著者:伊藤左千夫
います。思いのほかな天気になりました」 満蔵の声だ。 「満蔵、今日は朝のうちにを干すんだからな、すぐ庭を掃いてくれろ」 姉はもう仕事を言いつけている。満蔵....
春の潮」より 著者:伊藤左千夫
ねい」 兄のことばの終わらぬうちに省作は素足で庭へ飛び降りた。 彼岸がくれば種を種井の池に浸す。種浸す前に必ず種井の水を汲みほして掃除をせねばならぬ。これ....
」より 著者:金史良
から、歴とした小作農でもある様に、ぶつくさ愚痴をこぼした。「チェーギ堪らねえだ、一斤五銭でやがらあ」 又或日の如きは、高潮した興奮の中で、すっかりせき込むの....
春の槍から帰って」より 著者:板倉勝宣
ほど気持ちよく拝める。 乾いた田圃には、鶏の一群が餌をあさっている。水車の音とをひく臼の音が春の空気に閉ざされて、平和な気分がいたるところに漲っていた。 ....
開運の鼓」より 著者:国枝史郎
上野広小路に救い小屋を設けて、幕府では貧民を救助した。また浅草の米蔵を開いてを窮民に頒ったりした。しかしもちろんこんな事では日々に増える不幸の餓鬼どもを賑....
山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
なら主題というべきもの――が出ている。私は、此絵の震火をのがれるきっかけを作った山半三郎さんほどの熱意がないと見えて、いまだに集古館へ、この絵を見せて貰いに出....
愚かな男の話」より 著者:岡本かの子
に止まった。そこで男は知人に其の塗り方を訊いてみた。知人が言うには、此の壁は土に殻を混ぜて塗ったので斯う丈夫に出来たのであると答えた。 愚な男は考えた。土に....
沼畔小話集」より 著者:犬田卯
ど塩と水で生きているらしい、とは近所のものの観察である。彼がああなる前に収穫したが、俵に五六十残っているが、そいつを小出しに、ぽつぽつ食っているらしいとのこと....
少年の食物」より 著者:木村荘八
絵好きの同志が集まって、私の家の三階でよく絵の描きっこをしました。その中に一人新と云うのがいましたが、濃い鉛筆で絵を描いて上からゼラチンをかける。それを油絵だ....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
、「稲」の話が持ち出されて来ますから、一応説明してみますと、まず稲には、因としてがある。これが田に蒔かれて、日光の直射や農夫の手入れの助縁を受け、そして秋一粒....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
村落に近い田地にはこの必要もなかったであろうが、それでも刈り取った稲を納めたり、を落としたりするための小屋は必要であったはずで、それを経時の例の隔離舎に使用し....